新着記事一覧
全国の郷土すし紹介・2月号 宮城県気仙沼市の『フカヒレずし』
2012.01.21
中華料理の高級素材、フカヒレ。大型のサメの尾ビレや背ビレを乾燥させたものです。
宮城県気仙沼市は、そのフカヒレの生産地として名高いところです。
本場・中国でもその名声は通っており、江戸時代から輸出をしていました。
昨年の大震災では、三陸海岸の多くの街が被害に遭い、水産加工物は大打撃を受けました。
気仙沼のフカヒレも9割近くが海の藻屑となりましたが、
なんとか地元の名物を守ろうと、残ったわずかなフカヒレが、冬の風に寒干しとなっています。
さて、11〜12月頃に寒風にさらされたフカヒレが、その後いろいろな加工をされ、最高のかたちとなってくるのが1〜3月。
「乾燥品を使うので旬なんかない!」なんてことを言う人もいますが、なんのなんの。
問屋さんには、まさに「中華料理の王者」が並びます。
そのフカヒレを使ったのがフカヒレのすし。
煮込んだものを丸ごと使うのが姿ずしで、細かくばらしたのが軍艦巻き。
できたのは最近(といっても20年ほど前には有名になっていましたが)。しかし、その風格たるや、堂々としたものです。
東北大震災の後。三陸の街は着実に復興しています。
がんばれ、気仙沼! がんばれ、日本一のフカヒレの街! がんばれ、フカヒレずし!

すしとあの人・2月号『徳川家康』
2012.01.21
信長、秀吉と来ましたから、次は家康ですよね。
徳川家康。言うまでもなく、江戸幕府を開いた人です。
家康とすしのつながりで言えば、ひとつは名高い「光秀によるアユずしのもてなし」事件。
徳川家康をもてなすように織田信長から命じられたのが明智光秀…、という話は、
このコーナー、二つ前「すしとあの人・9 織田信長」を参照のこと。
さて、江戸幕府といえば献上ずし。各地の大名たちから幕府に献上されるすしがあったのです。
その起源となるのが、徳川家康・秀忠父子でした。
関ヶ原での勝戦を願い、戦い、そして戦に勝ち…。
岐路途中、岐阜という町に立ち寄ります。そこで食べたのが、長良のアユずし。
長良のアユ自体が天下の名物です。そのすしですから、もう美味!
家康も秀忠も「うまい!」と賞翫の声をあげました。
喜んだのは、家康たちにアユを食べさせた人。
「世の天下人が『うまい』とおっしゃった。これは、毎年、このすしを味わっていただくことにしよう」
こうして岐阜のアユずしが、毎年、家康・秀忠に献上されることになり、その後、その役目は尾張藩の徳川家がとって代わりました。
全国各地で、似たようなもの、同じようなことが起こりました。
おかげで10数藩が、江戸幕府にすしを送ることになりました。
とは言え、ま、ほとんどが実話かどうか、わかりませんがね。
で、時代は下って、家康が死に、秀忠が死に、三代将軍の頃になると、この献上ずしは、その名前だけが残ります。
いや、形だけが残ったのではなく、いっそう豪華になって残ってゆきました。
会ったこともない家康が食べたおすしを、無難に作り上げ、運ぶ…。
その名声維持のために、制度がしっかり整えられてゆきます。
全国の郷土ずし紹介・1月号 三重県熊野市の『サンマずし』
2011.12.22
世界遺産に輝く熊野路のサンマずしです。
古くは発酵させるすしにされました(もちろん、今でも好きな人は発酵ずしにします)が、今は酢を当てたすしが一般的です。
こちらは、昔より今の方が盛んに作られているようです。新鮮な魚さえあれば、普通の家の主婦でも作ります。
北の方から戻ってくるサンマは、三陸から千葉にかけては脂が乗っていておいしいのですが、実はすしには不向き。
脂が多すぎるのです。ですから、それよりはるか南の熊野まで泳いでくると、脂も落ちて、すしに好適なサンマになるのです。
そのサンマずしを食べる祭りが、三重県熊野市にあります。
産田神社。
日本神話に登場するイザナミノミコトが火の神・カグツチノカミを産んだ場所として伝えられているところで、
それにちなんでこの神社では、1月15日、「子供の安産と健やかな成長」を願う「おとう祭り」が行われます。
「おとう」というのは「神様にお供をしていただく、尊い(とうとい)ご飯」のことで、それが略されたものだといいます。
そこでふるまわれる「奉飯」というお膳に、サンマずしが乗っています。
ただ、このサンマずし、普通のサンマずしとはちょっと違い、背骨を残したままの腹開きとなっています(写真左。右側は普通のサンマずし)。

「一本、骨のある(芯の通った)人になってほしい」という願いがあるそうですよ。








