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日比野日誌

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前回のカンの話のついでに、「2カンづけ」の話をしておきましょう。

かつてのすしは大きかった…。これはしばしば言われることで、
それこそ、戦前のすしは今のすしの3〜4倍はありました。

その時、話に出されるのが、日本橋の「宇治丸鮨」です。
この店のすしの大きさは尋常ではなく、出される時には必ずまん中に包丁が入っているのでした。
つまり、1カンが二つに切れているわけです。「マグロ1つ」と言うと、1個を2個に切って出してくれるのです。

しかし,「なるほど。今の『2カンづけ』の習慣はここに原因があるのか」とは思わないでください。昭和初期の「宇治丸鮨」の写真が『すし通』(昭和5年刊)という本に載っているのですが、それを見ると、「2カンづけ」で出されたものが二つに切ってある、すなわち、4切れがひと組、一人前なのです。

当時から、すしは「2カンづけ」で握られていたのです。

*その50*

2010.04.20

明治10年(1877)の内国博覧会に出すため、天下に名のとどろいていた与兵衛ずしは、
自分の店で出していたタネを、さる巧妙な画家に描かせました。
その画家の名は川端玉章。東京美術学校、のちの東京芸術大学の教員も勤めた日本画家です。
そして、それをもとに作られたのが「与兵衛ずしの図」。
明治43年(1910)刊行の『家庭 鮓のつけ方』という本の口絵に使われました。

以下、与兵衛ずしで当時出していたすしダネを、季節ごとに解説してゆきましょう。
まず、春です。

どのタネも塩で締めた後、小ダイとサヨリは酢締め。
タイラガイとマスは三杯酢に、またサワラとヒラメは醤油にくぐらせます。シラウオは塩・醤油・みりんで煮上げます。
なお、タイラガイとシラウオを握る際には、ご飯に海苔をまぶしておくのが与兵衛ずしのやり方でした。

*お方ずし*

2010.04.20

お方ずしつつじが咲き乱れる頃。田には水が張られて、田植えを待っています。いよいよ、本格的な農作業が始まります。
大分県では昔、農作業が忙しくなる前に、庄屋が小作人を呼び集め、ごちそうをふるまいました。大分市竹中地区ではこの会のことを「地獄入り」と言います。「明日から地獄のようなつらい日々が来るのだぞ、暇でいられるのは今日までだぞ」という意味でしょうか。

さて、ごちそうといっても、魚はイワシかアジ、野菜はイモか豆くらいのものでした。けれども小作人たちは「米の飯が食べられる」と言って、つつじの頃の「地獄入り」を楽しみに待っておりました。

そのときに出されたのが、このすしのおにぎり。大きなうずら豆が印象的でしょう。つややかに煮るのは庄屋の嫁の腕の見せ所です。また、写真で見るとよくわかりませんが、中には焼いたアジが混ざっています。それも、まだ熱いうちに身をほぐし、直前に酢をうって、すしご飯に混ぜます。
一見、単純な調理法に見えますが、まさに、庄屋自慢の料理だったのです。
「お庄屋さま」のことを「お方さま」と呼びました。だからこのすしのことを、「お方ずし」と言います。今は、昔を懐かしんで、たまに作られます。

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