日比野日誌

すしとあの人

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足利義昭とは、いうまでもなく、室町幕府の最後、15代将軍です。初めは足利本家の家督相続人ではないため出家していましたが、兄で13代将軍の足利義輝が三好三人衆に暗殺されたのを機に還俗(出家の身から一般社会へと戻ること)し、「足利義秋」と名乗ります。しかし、勢力を持っていた三好三人衆のバックアップを受けて、第14代将軍になったのは足利義栄(義輝のいとこ)でした。

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永禄11年(1568)、義秋は朝倉義景を頼って越前(現・福井県)一乗谷に下り、ここで「義秋」から「義昭」へと改名。さらにこの地で元服。といっても、義昭は31歳の春でありました。その後、足利義昭は織田信長らや浅井長政らの援助で京都へと上洛し、9月、正式に15代将軍の宣下を受けます。義昭にとって、華々しい日々でありました。

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その後、義昭と信長はすぐに仲が悪くなり、戦乱になります。一時は義昭勢の兵力に信長がたじろぐこともありましたが、遂には信長に大敗してしまいまして…、という話は、今は関係ないのでやめておきましょう。

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話は永禄11年の春に戻ります。

4月15日(21日という説もあり)、朝倉義景のもとで念願の元服式を終えた義昭は、翌月17日、義景の館へ招かれ、ごちそうをふるまわれています。いくら威力を失っていたとはいえ、相手は将軍。義景は最高のもてなしをしました。

当時、このように臣下の者が将軍などの貴人を自邸に招くことを「御成(おなり)」といい、そこで出される料理を「御成料理」といいました。義昭をもてなした御成料理は正式な本膳料理で、献(酒を飲む儀式)は17回ありました。そのつど酒肴も違ったものが出され、つまり、酒の肴も17回、かわるがわる出されたのです。

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その中、2献目に「スシ」が、17献目に「鮎のスシ」が上っています。「スシ」だけでは何のすしだかわかりませんが、17献目の肴はアユでした。

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5月のアユ、といっても、これ、旧暦でして、現在の暦でいえば6月中旬。まぁ、そこそこの大きさはあったともいえますが、時期は室町末期で、その頃のすしはナマナレ。作るのにはアユを塩漬けにするところから始めますと、1ヶ月ほどかかります。

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少し小さめのアユだったようです。

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