すしの雑学
*「すし屋のカウンターにて」編 その52*
2010.08.04
カンの漢字が「貫」だけではないことは、前にも言いましたよね。
では、本当に「カン」だったのでしょうか。もともとは「カン」ではなかったのでは…。
江戸後期、嘉永6年(1853)刊の『守貞謾稿』。
このコーナーでもしばしば出てくる本ですが、その「箱ずし」の記事の中に、
箱ずしは4寸(約12センチ)四方に押し出したものを「横四ツ竪三ツ」に切る、とあり、
その数「十二軒」と書かれているのです。「十二軒」。
この「軒」。おそらく「ケン」と呼んだのでしょう。いわば単位です。
「1軒」といえば家の単位だと思いがちですが、「大きく切った肉片」をも指しました。
「1ケン」がなまって「1カン」になった…。
まぁ、誰もが考えつく説ですが、この説、だれも言ったことがないのです。
ので、私が言っておくことにします。
*その52*
2010.08.04
明治になって変わったこと。いろいろありますが、交通機関の発達も挙げられましょうね。
陸蒸気、ほら蒸気機関車が日本列島を駆けめぐって行くのです。
旅といえば駅弁。
駅弁の発祥は「明治18年(1885)、宇都宮駅においてだ」とはよく聞く話ですが、
実際はそれ以前からあったようです。
すし弁当についても発祥かどうかはわかりませんが、
同年、東北戦の小山駅で「海苔巻き・玉子巻き・いなりずし」という弁当を売り出し始めました。
調製者は「柏屋」。駅前で開いていたすし商です。
長らく駅弁を作っていたのですが、最近、お辞めになられました。
その柏屋ですしを作るのが上手だったのがキナさん。
「おキナさんのすしが食べたい」、「おキナさんのすしがほしい」…。
こうしてキナさんのすしは柏屋の名物に。ついにはすしも「おきなずし」、
いや「翁ずし」と命名され、小山駅の一大名物ちして有名になりました。
*サバずし*
2010.08.04

7月下旬、富山県南砺市城端は、たいへんな人でごった返します。
人々の行く先は善徳寺。この寺では約1週間ほどかけて「虫干し」を行い、
それを機に、寺宝を蔵から出して一版に展覧するのです。
人手は10万人にも上るといわれ、広い敷地ですが、朝から晩まで、寺は人で一杯となります。
昼食は「お齋(おとき)」といいます。お寺の昼食だからぜいたくは言えませんが、
フキとナスの煮つけは大量に作らないと出ない味ですし、
キュウリの酢もみは夏の暑さを忘れさせてくれます。
そして、たきたてのご飯。いや、とてもぜいたくな気分になれます。
ところがこの食事。名前は「鯖ずし弁当」。そう、サバのすしがついているのです。
というより、サバがメイン。しかもこのすしは、酢は使わずに、発酵させるタイプのものなのです。
なぜ、お寺でサバ? じつはこの行事は、本来、善徳寺のものではなかったといいます。
お寺の虫干しも、檀家の仕事。その時の昼飯も檀家たちが準備したのです。
今も、漬けたすし桶は寺の敷地内にありますが、漬けるのは漁商組合の人たちです。
使うのは塩サバとご飯と塩、そしてサンショウの葉だけ。
1000本以上ものサバを漬けます。
約40日かけて、ようやくおいしいサバずしができあがるのです。








