すしの雑学
「すし屋のカウンターにて」編 *その38*
2009.04.23
皆さんのよく行く店の、カウンターの明るさってどうですか?
こういうと、「てやんでぇ。暗いところですしが握れるかよっ!」ってご主人から怒られちゃいそうですね。はい、わかりました。お宅のお店は、さぞや漬け場(すしを握るところ)が明るいんでしょうね。でも私が聞いてるのは「お客さんの方」。漬け場じゃなくて、カウンターの方です。
カウンター客にとって、あまり明るいのはダメ。これは、すしダネの善し悪しがすぐにわかるから…。じゃなくて、明るいと、かえってまずく見えるのだそう。それから、蛍光灯のような広く万遍ない光よりも、一点型の電球の方がいいそうです。影が出て、食べ物の立体感がよりよくわかるといいますね。
そういえば、昔の夜の屋台。光は、脇のあんどんだけでした。あんどん…。一点型の証明の礎、ですねぇ。さぞ、おいしく見えたことでしょう。
*その38*
2009.04.23
江戸時代は、月の満ち欠けを基本とした暦、いわゆる旧暦で、太陽の動きをもとにした今の暦とは本質的に違うものでした。また、その時間的ズレもいろいろ で、たとえば新暦の5月1日は旧暦では何月何日にあたるのか、年によってバラバラでした。ある年は5月20日頃でしょうし、ある年は6月5日くらいで、と いった具合で、最大1か月くらいの差がありました。
すしの献上のしきたりを記した本の中に、たとえば「五月一日 小鮎鮓」などと書いてあります。5月1日になったら小アユのすしを送りなさい、という意味で しょうが、問題はこの日付けの意味です。5月1日とは、当然、旧暦。月の満ち欠けによって決めるヤツですが、アユという魚は、そんなことはわかりません。 小アユが表に出るためには温度が必要で、要は太陽高度が問題になります。つまり、人間様が使う旧暦とは数え方の違う、新暦タイプ、だったのです。
だったらどうなるか? 以下、次号です。
*べろずし*
2009.04.23
広島県の瀬戸内海に浮かぶ「ひとつ」の島、「能美島」と「江田島」。以前は2つの島があったのですが、昭和初期、両島を隔てる水路が完全に埋め立てられま した。「江田島」というと「海軍」と出てくる人。はい、あの兵学校があった江田島町です。今は広島県江田島市で、音戸大橋や早瀬大橋で、陸ともつながって います。
この島の大柿町小古江(おぶれ)には観音様があります。5月中旬の祭りには、人もたくさん出ました。べろずしはそんな時に作られました。「べろ」とは、舌のことでしょう。
これの最大の特徴はご飯の中に大麦または裸麦を混ぜることですが、使うのはまだ未熟な青い麦の穂。指でつまむと白い液が出るか出ないかのところを5分ほど 炒ってから、籾を石臼でひきますと、熟れ切っていない麦は粉にはならず、2cmくらいの長さの棒状になります。これが舌のような感じがするのです。これを 即座に米のご飯に混ぜます。
あとは、ごく普通どおりに味をつけ、具を混ぜてちらしずしにし、小桶に入れて押しずしにします。が、これを食べる時、作り立てだったらたまりません。麦を炒った匂い、ちょうどご飯の上にコーンフレークを乗せたような匂いがするのですから。
観音様の大きなお祭りは、昭和の初めで終わりました。そして、あのいい香りがする、独特な舌触りのべろずしも、人々の記憶から忘れられていくのです。








