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日比野日誌

すしの雑学

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前回の「立喰」に続いて、今回は「江戸前」。これは、ほぼ全国的に見られますが、いったい「江戸前」ってどんな意味でしょう。
まず、江戸時代には、「江戸前」ということばは、ウナギ屋のものでした。三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)の説によれば、江戸の初期、まだ街づくりに一生 懸命だった頃、埋め立て工事によって江戸城の南側に、大きな沼ができました。そこに鰻が棲みついた。江戸城の前で獲れたウナギだから「江戸前」と呼ばれた のだといいます。
ところがこのことばは、当のウナギ屋では使われなくなります。代わって使い始めたのが、江戸後期のすし屋。「江戸前」と言っても「江戸城の前」は、すっ かり埋め立て工事は終わっております。この頃の「江戸前」とは「江戸湾」。今の東京湾のこと。ここで捕れた魚を使って作ったすしが、「江戸前ずし」であっ たのです。

*その32*

2008.11.04

前回、握りずしの「発明者」について書きました。しかし、この「発明者」、別説もあるのです。
江戸末期のエッセイ集『嬉遊笑覧』の中に、「文化の初め、江戸・深川に『松がずし』ができてから、世のすし屋の風が一変し…」という一文があります。このことから、「松がずしが握りずしの発明者だ」とする向きもあります。
「松がずし」とは、別名「いさごずし」。主人・松五郎は、関西は泉州・堺の出身者だと考えられています。当時、江戸深川の安宅(あたけ)に店を出し、後 の世に、とりわけ贅を尽くした、たいそう立派な値段のすしで名を馳せたものです。「そろばんづくなら よしなんし 松が鮓」とは、その頃はやった歌でし た。
「松が鮓 一分べろりと 猫が食い」と言いますから、べろりの猫が食べてしまえるような量のすしが、金1分。文政頃の価値で、酒1斗ぐらいだったといいます。

*すし*

2008.11.04

32今月ご紹介するのは、酸っぱくないすし。はい、酢は使っていませんし、発酵もさせてありません。正真正銘の「白ご飯」です。写真中央で、鯛とにらみあってる白い四角いもの。これが「すし」と呼ばれており、滋賀県東近江市永源寺町で作られる新撰です。
11月3日、山深い里・政所(まんどころ)の「ミソウ祭り」。そこでは、村の若者たちが、正装して、無言で、神様へのお供えを作ります。というのも、この 祭りの意味は、若衆入りの儀式だからです。「若衆」というのは「青年団」のようなものですが、ムラの中では役割が非常に細かく決められていて、そのしきた りにそむくと…。ムラでは生活ができなくなるかもしれないものなんです。ともあれ、19歳から若衆に入ることが義務づけられているのです。
で、おすしの話。なぜ酸っぱくもない、ただのご飯だけのものが、「すし」と呼ばれているのか。答えは、わかりません。作る時にはご飯を箱の中でぎゅうぎゅう詰めにしますから、あるいは、「すし詰め」から来ているのかもわかりません。
写真中央の右下の方にある、茶色い小さな丸っこいヤツは、ヘソダンゴと呼ばれるもの。味噌をかけるためミソダンゴとも言われますが、木地師の元祖・惟喬(これたか)親王の「密葬」にかけたものだそう。政所は、木地師の発祥の地と伝えられているところです。

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