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日比野日誌

すしの雑学

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近ごろはずいぶん減ってきましたが、「立喰」って表現、見たことありませんか?
「立喰」。立ち喰い。立って喰う、という意味ですよね。でも、実際に立って食べるようなおすし屋さんって、見たことあります?
実は、出始めの屋台の握りずし屋さんは、お客さんを立たせて食べさせてました。どうせお客さんは、すしを2つ3つ食べるだけで、なにも、腹いっぱいにす るわけじゃありません。手間を省きたい屋台の握りずし屋。座るなんて、それこそ無駄なことです。だから「立喰」。代わりにすし屋さんは座って握るのが常で して、「すし屋が立っちまったらお終いだ!」とさえ言われたほどです。昭和になっても、まだこの習慣は残っていました。
今では、お客は座り、職人が立つ、という時代です。でも、かつてのなごりは名前に残り、「立喰」ということばは、のれんの隅っこなどに書かれていることがあります。

*その31*

2008.09.22

少し、与兵衛のことを書いておきましょうか。
華屋与兵衛。本名・小泉与兵衛。寛政11年(1799)生まれ。父・藤兵衛は霊岸島(現・中央区新川)にあった福井藩出入りの八百屋でした。が、祖父・茂 右衛門とともに泉という姓を受けていましたから、あるいは、もともとは、下級武士だったのかもしれません。
9歳の時に、江戸・蔵前の貸し金屋・板倉屋清兵衛のところへ下男奉公に入りまして、以後、10数年、まじめに働きました。20数歳で板倉屋を辞めた後、古道具屋や干菓子屋などを経て、すし屋を開きます。この時から、小泉姓を名乗ります。
文政の頃(1818~1830)には、本所横網(現・墨田区)の長屋住まいで、やがて尾上町(現・同区両国)に小さな店を出しました。ここが、「与兵衛 ずし」の初代本店。やがてここで、今の「握りずし」を作り出すことになると伝えられているのです。現在、両国の回向院近くの路地を捜すと、墨田区が作った 「与兵衛鮨発祥の地」という看板を見つけることができます。

*ハモずし*

2008.09.22

31何のすしだと思いますか。ヒントは「細長い魚」。夏の魚というイメージがあります。
答えはハモ。ハモというと、身は白いけれども、歯が鋭くて、どう猛で。それから、小骨が多いため、職人技の「骨切り」が必要な魚。でも、夏場の暑い時、 キーンと冷やした白身の上から、甘酸っぱい梅肉をかけて…。ですが、これはちょっと違っていますよね。白い身はどこへ行っちゃった?
実はこのハモ、煮てあるのです。和歌山に近い大阪府の最南端・岬町の一般家庭で作られ、中でも深日(ふけ)で10月の祭りに食べられるハモのすしは絶品です。夏場よりこの季節の方が脂が抜けてきて、美味なんですって。
素人の作業ですから、プロのような「骨切り」はできません。ゴム手袋で表皮をエイッと剥き、背びれや尾ひれをはさみで切り、中骨を取ります。この時、小 骨がたくさん残りますから「骨切り」が必要なのですが、素人は気にしません。一度、つけ焼きにして、あとは、フードプロセッサーでブーン! ハンバーグの ミンチよろしく、べとべとになるまでくずして、さらにまな板の上でトントントン。2時間も叩いたら、今度は仕上げに炒りつけてやります。
これを、シイタケや卵焼きと一緒に押しずしにしたものがハモずし。でも、すしの上に乗ってるのがハモだとは、説明されてもわかりません。食べてみると…。やっぱりわからん! あんまり煮たハモなんて、食べたことないからなぁ。

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