すしの雑学
「すし屋のカウンターにて」編 *その26*
2008.04.26
今回は、屋号編「弥助ずし」のオマケ話です。時は平安末期。吉野の山奥のすし屋で働く「弥助」。それは世を欺く仮の姿で、実は源氏に破れた平維盛でした。 そのことを知っているのは、すし屋の主人・弥左衛門だけ。ふたりは、平家の再興を、固く誓うのでありました…。もちろん、お芝居の中での話ですよ。
見どころはこれからです。若い弥助に恋い焦がれた弥左衛門の娘・お里。しかし身分がばれ、そのためにお里の兄・権太から追われる維盛。また、突然現われ る維盛の妻と子…。もう上を下への大変な騒ぎになるのですが、それはさておき、この維盛が弥助と名前を変えた日。これが11月1日でした。これにちなんで 生まれたのが、そう、すしの日ですね。
だれが、どうやって計算したのか、皆目わかりません。でも、もともとがお話の世界です。あんまり、目クジラを立てなくともいいのでは…。
*その26*
2008.04.26
17世紀末から18世紀初頭にかけての江戸の街は出版ブームで、料理本がたくさん刊行されました。その中の『名飯部類』はたびたび引用しましたが、まだま だめずらしいすしが出ている本がありますよ。中には「ちょっと変わった味(ではないか)」と思われるすしもありまして、そのいくつかをご紹介しましょう。
まず、豆腐ずし。すしご飯とともにキクラゲやサンショウ、クワイにハジカミ、そして煮豆腐を一緒に海苔巻きにするもので、天明3年(1783)の『豆腐 百珍続編』に出ています。豆腐でなくおからを使う巻きずしも出ており、名前が「ノリマキラズシ」。ノリマキ+キラズ(おから)+スシから名づけたのでしょ う。タイやクリなども巻いたようです。
鍋にキラズとイワシを交互に詰め、上から醤油と酒とを混ぜる「すし煮」。昔の発酵ずしを漬けるのに見立てたのでしょうか。お味は…、やったことがないので、わかりません。
*アサリの握りずし*
2008.04.26
春爛漫の今日この頃。行楽シーズンです。潮干狩りに行かれた方も多いでしょうね。
三河湾も潮干狩りのメッカ、でした。今は、悲しくなるくらい少なくなってしまいましたが、遠くまで浅いこの海は、絶好のアサリのゲットスポット、でした。たくさんの「獲物」をねらって、近在近郷からたくさんの人がやってきたものでした。
アサリを獲ってくるのは年寄りと子どもたちの仕事。それを甘辛く炊いてくれるのはおかあさん。ひとつひとつ砂を出して、身を剥いて…。ふっくらとしたやわらかな歯ざわりはまさにいろいろで、各家庭で独特なものがありました。
そのアサリをすしの具にします。でんぷやシイタケ煮を使うこともありましたが、やはりプリップリッのアサリが一番。すし枠にご飯とアサリを詰めて、 ギュッと抜き出します。昔は1度に5つ分を抜きましたが、そのうち2個ずつになり、やがて1個ずつ抜き出すようになりました。最後には道具も使わずに手で 握り、そして、このすしを作る人もめずらしくなりました。
でも、このすし。アサリの「押しずし」「押し抜きずし」とはいわずに、機械を使っても「握りずし」と呼んでいます。ということは、大昔は、案外、手で握っていたのかもしれません。








