すしの雑学
「すし屋のカウンターにて」編 *その25*
2008.03.26
今度は、屋号編、「弥助ずし」編、です。弥助。読めますか。「やすけ」。これは、人の名前です。『義経千本桜』という芝居の中に出てきます。それではこの話について、お話ししましょうか。
この本が生まれたのは、江戸時代の半ば。延享年間のことでした。当代きっての戯作者、今でいうシナリオライターであった竹田出雲(2代目)が、他の2人 と組んで作ったものでした。人形浄瑠璃で初演され、次に歌舞伎でも演じられて大好評を博した義太夫節で、現在でも盛んに上演される名作です。
ドラマは、平安末期の源平期が舞台。「弥助」というのは、吉野の山奥にあるすし屋で働く作男の名。しかし、それは世を忍ぶ仮の姿で、実は、源氏の追っ手 から逃れて落ち延びている平家の雄・平維盛でありました。どうせお話の中だけの世界のこと、ではおさまりません。「弥助」というのはすし屋の元祖みたいな 意味を持たされて、屋号に使われることが多くなったのです。
*その25*
2008.03.26
「茶巾ずし」って知っていますか。薄焼き卵で包んだ、あの手まり状のすし。ひな祭りに作ったという人も多いでしょうね。ところであれ、最近できた新作ずし だと思われていますが、笑止千万。今から200年以上も前の享和2年(1802)、『名飯部類』という本に紹介されているすしなのです。人間の考えること は、今も昔も、たいして変わり映えしないようです。
と思いきや、『名飯部類』をよく見ると、今とはちょっと違っているのです。「鶏卵の殻を取って…」、ふんふん。「黄子(黄身)と白子(白身)を分けて…」、へっ?
そうなんです。黄身と白身を分けてしまって、別々に焼くんです。ですから、できた卵焼きは、黄色いのと白いのの2種類。それぞれに、五目すしご飯をくるんだといいます。
今はどうでしょうか。少なくとも私は、2色そろった茶巾ずしは、見たことがありません。ということは、昔の人の方が、カラフルなおすしを食べていたことになりますね。
*桜エビの軍艦巻き*
2008.03.26
体長わずか4~センチほどという小エビが桜エビ。乾物としてよく見かけはしますが、これ、世界的にも稀少な生物です。しかもその生息地は、わが国では、東京湾でもわずかに見られるといいますが、大多数は静岡県、とりわけ、駿河湾に偏っています。
このエビは深海性で、昼間は200~300メートルの深さの所にいますが、夜間にはエサを食べに、表層20~30メートルまで浮き上がり、そして明け方 には、再び深みへ戻ります。したがって、桜エビ漁は夜中に行います。ただ、この漁法が固まったのは明治27年。割と新しいものなんですね。
さて、漁師さんに言わせると、「美味いのは12月末に獲れる物だ」とのことですが、春の桜エビは魚体も大きく、そのため高値がつくそうですし、なにより その名の通り、桜の季節「春」を旬にするのが妥当でしょう。ちなみに、本当の旬は3月末から5月初旬と、10月末から12月末までとなっています。
静岡県静岡市の春はまさに桜エビの季節。よく、天日で干したものが見られますが、よそではなかなか経験できない食べ方として、刺し身や釜揚げなどがあります。そして、すしダネというのは、まさにここだけ。非常に貴重なものなんですよ。
寿司ミュージアムへ来た機会に、ぜひ、おためしください。桜エビの軍艦巻きです。








