すしの雑学
「すし屋のカウンターにて」編 *その24*
2008.02.26
屋号編、「ミサゴずし」編、です。
ミサゴとはタカ目ミサゴ科(タカ科とする人もいる)の鳥で、別名「海ワシ」。低空飛行で魚を探し、水中に飛び込んで魚を取る勇ましい鳥です。
このミサゴ、捕獲した魚を岩場の穴に貯蔵し、漁が出来ない際に食べる、という習性が紹介され、さらに、その貯蔵された魚が自然発酵して「すし」ができ た、と言われるようになりました。江戸時代、この話はおもしろいというので、松浦静山の『甲子夜話』や滝沢馬琴の『椿説弓張月』など、いろいろな本に書か れています。料理本でも『名飯部類』の中で、実際に食べた感想が述べられています。
てんで、ミサゴなる鳥が、日本で一番最初にすしを食べた。だから「ミサゴすし」にしました、というわけ。でも、バリバリの肉食のミサゴがどうがんばっても、デンプン質の米の中で発酵なんか、させられませんけどねぇ…。
*その24*
2008.02.26
稲荷ずしの話をしましょうか。あれ、もともとは、巻きずしでした。
はじめは油揚げで巻いた、ちょうど前回のこのコーナーで紹介した「南関揚げの巻きずし」のようなものだったと思われます。そのうち、袋状の油揚げの中に ご飯を入れるようになりました。それは細長い袋だったのでしょう、「1本」のすしを4つに切って売っておりました。嘉永5年と言いますから江戸も終わりの 頃、『近世商賈尽狂歌合』という本に、稲荷ずし売りのおじさんの絵と、売り口上の文句とが載っています。「壱本が十六文、ありがたい。半ぶんが八文、あり がたい。一ト切が四もん…」と、威勢がよいものです。
江戸の風俗を描いた明治の本『天言筆記』は、油揚げの中に「豆腐ガラ」、つまりオカラを入れて売っていただの、ワサビ醤油で食べていただのと書いていま す。いろいろな方法で売られていたのはわかりますが、値段は「はなはだ下値」だったとも言われています。
*ブサンずし*
2008.02.26
ブサン…。聞き慣れないことばでしょう?
三重県津市芸濃町に伝わる神事の名前です。「武社」「武者」「武産」などの字を当てますが、もともとは「歩射」と書いたものでした。「歩射」とは「やぶ さめ」のことで、萩野地区の安西神社でも、かつては「やぶさめ」が行われていました。けれども明治の頃にはすでに「やぶさめ」はなく、ブサンとは単なる行 事名となってしまいました。
ブサンを開くのには大がかりな人の集まりが必要で、その集まりを「ブサン講」と呼びました。講の当番役は宴会準備などでたいへんな出費でしたが、一生の うち一度当たるか当たらないかという荘厳な役目。当たった人は、たいそうな名誉でした。そのごちそうのメインに作られたのが「ブサンずし」。コノシロ姿ぐ るみの、ナマナレです。漬けるのは1月初旬。約2か月の熟成期間をおいて発酵させ、ユウ(ユズ)の葉をにおい消しに使っています。しかし、そんな伝統も、 昭和15年には全廃させられました。
今は、「ブサン講のために、おすしを作る」という人はいません。講の宴会も、昔のような盛大なものではありません。でも、ブサン講の行われる3月中旬に なると、だれとなくこのすしを作ります。昔を懐かしんでいるのでしょうね。そして、コノシロずしと呼ばずに、「ブサンずし」と呼んでいるのです。








