すしの雑学
「すし屋のカウンターにて」編 *その7*
2006.09.26
すし屋とお酒
「何? 酒? よしとくれ! どうしても飲みたいんだったら、そば屋へ行ってくんなっ!」 こうやって怒る職人も少なくなりましたけれども、こうやって怒られるくらいなんだから、すし屋で酒を飲むことは「いけないこと」だと思われてる人も多いでしょうねぇ。
ところが、嘉永7年(1854)刊の『難波職人歌合』の中にあるすし屋は、看板に「酒 肴 切すし」とあります。どうです? 今から150年前のすし屋 は、店で酒を売っていたのです。ただこれは、切りずしですね。握りずしではどうかというと、「見立源氏 はなの宴」(幕末頃)に、すし桶を前にしてお酒を 酌み交わしている男女が描かれています。もっとも、こちらは屋外で食べる「出前モノ」のようですが…。
すし屋のカウンターで食べる場合は、昭和初期の頃ですね。その頃は、飲みたい人は飲む、飲みたくない人は飲まない。どっちだっていいのです。少なくとも、すし屋さんにとやかく言われるものではなかったのです。
でも、すしをつまむことなく、お酒ばかり飲んでる人。そういう人は居酒屋の方がよいかも。。。
*その7*
2006.09.26
古代日本で食べられていたすしはご飯を食べませんでした。それは、前回書いた『今昔物語』の「販女(ひさぎめ)の話」でもわかりますが、ここでは別の話をもうひとつ。
太りすぎに悩む三条中納言に対し、医師の和気重秀がアドバイス。「やせるんだったら、水かけ飯になさいませ」。太りすぎには水をバンバン飲むこと。ご飯 も、水をかけたものがよいわけです。ところが数ヶ月たっても、ちっともやせません。そこで三条中納言の食事を「実地見学」すると、アユずしをおかずに水か け飯を丼に2~3杯をペロリ。こんな大食いでは何をしても無理と、和気重秀はサジを投げてしまいましたとさ(同書より)。
『類聚雑要抄』保元2年(1157)の献立の中には、すしアユが描かれています。ご飯粒は書かれていません。と同時にこのすしは、たくさんのおかずの中の 一種として描かれています。やはり、おすしはあくまでも「おかず」であり、魚のまわりについているご飯は食べるものではありませんでした。
*コノシロずし*
2006.09.26
各地は秋祭りのシーズンです。祭りにあわせておすしを作る、という人もおられましょう。兵庫県姫路市の「けんか祭り」もそのうちのひとつ。10月 14,15日に姫路市白浜町の松原八幡神社で行われ、地元では「妻鹿のけんか祭り」の名で知られています。古めかしい神輿をぶつけ合う特殊な神事(激しい もので、「けんか祭り」の名前はここから来ているらしい)のほか、絢爛たる屋台練りで、近隣のみならず多くの人々の人気を集めています。
その屋台を見物するのが桟敷(さじき)席。神社や参道沿いにたくさん準備されます。人々はそこへ座って、すしや料理を肴に一杯やりながら、屋台が練り込んでくるのを見ています。もちろんこのコノシロずしも、よく食べられます。
コノシロずしは、置くこと、2日間。こうして食べごろが訪れますが、人によっては3~4日とか、もっと置いて、青カビが生えた頃とか、さまざま。まさに、家庭の味でしょうね。








