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	<title>日比野日誌 &#187; すしの雑学</title>
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	<description>清水すしミュージアム名誉館長が寿司について語る</description>
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		<title>すしとあの人・2月号『徳川家康』</title>
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		<pubDate>Sat, 21 Jan 2012 08:22:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hibino</dc:creator>
				<category><![CDATA[すしの雑学]]></category>

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		<description><![CDATA[　信長、秀吉と来ましたから、次は家康ですよね。
徳川家康。言うまでもなく、江戸幕府を開いた人です。 
　家康とすしのつながりで言えば、ひとつは名高い「光秀によるアユずしのもてなし」事件。
徳川家康をもてなすように織田信長 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　信長、秀吉と来ましたから、次は家康ですよね。<br />
徳川家康。言うまでもなく、江戸幕府を開いた人です。 </p>
<p>　家康とすしのつながりで言えば、ひとつは名高い「光秀によるアユずしのもてなし」事件。<br />
徳川家康をもてなすように織田信長から命じられたのが明智光秀…、という話は、<br />
このコーナー、二つ前「すしとあの人・９　織田信長」を参照のこと。</p>
<p> さて、江戸幕府といえば献上ずし。各地の大名たちから幕府に献上されるすしがあったのです。<br />
その起源となるのが、徳川家康・秀忠父子でした。 </p>
<p>　関ヶ原での勝戦を願い、戦い、そして戦に勝ち…。<br />
岐路途中、岐阜という町に立ち寄ります。そこで食べたのが、長良のアユずし。</p>
<p>　長良のアユ自体が天下の名物です。そのすしですから、もう美味！　<br />
家康も秀忠も「うまい！」と賞翫の声をあげました。</p>
<p>　喜んだのは、家康たちにアユを食べさせた人。<br />
「世の天下人が『うまい』とおっしゃった。これは、毎年、このすしを味わっていただくことにしよう」</p>
<p>　こうして岐阜のアユずしが、毎年、家康・秀忠に献上されることになり、その後、その役目は尾張藩の徳川家がとって代わりました。</p>
<p>　全国各地で、似たようなもの、同じようなことが起こりました。<br />
おかげで10数藩が、江戸幕府にすしを送ることになりました。</p>
<p>　とは言え、ま、ほとんどが実話かどうか、わかりませんがね。</p>
<p>　で、時代は下って、家康が死に、秀忠が死に、三代将軍の頃になると、この献上ずしは、その名前だけが残ります。<br />
いや、形だけが残ったのではなく、いっそう豪華になって残ってゆきました。</p>
<p>　会ったこともない家康が食べたおすしを、無難に作り上げ、運ぶ…。<br />
その名声維持のために、制度がしっかり整えられてゆきます。</p>
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		<title>すしとあの人・1月号『豊臣秀吉』</title>
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		<pubDate>Thu, 22 Dec 2011 09:27:33 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[すしの雑学]]></category>

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		<description><![CDATA[　先月の織田信長についで、今月は豊臣秀吉です。この人もまた、すしに縁のある人ですね。
　秀吉が朝鮮出兵で兵を進軍させていた頃、陣中見舞として贈られたのがフナずし。
送り主は近江国長浜の「惣中」、すなわち町衆の連中でした。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　先月の織田信長についで、今月は豊臣秀吉です。この人もまた、すしに縁のある人ですね。</p>
<p>　秀吉が朝鮮出兵で兵を進軍させていた頃、陣中見舞として贈られたのがフナずし。<br />
送り主は近江国長浜の「惣中」、すなわち町衆の連中でした。</p>
<p>これに喜んだ秀吉は、持ってきた使者２人に、陣中で能楽の舞いを見せたと伝えられています。</p>
<p>　さらに長浜へは礼状を書き、手厚い志に深い感謝の念を表しました。その書状が、現在の長浜城歴史博物館に残っています。 </p>
<p>　それにしても、驚くべきは、贈られたフナずしの数でしょう。「鮒鮓一折」と書いてあります。</p>
<p>　「一折」…。せいぜい３尾、多くても５尾くらいでしょう。これでは少ないと感ずるのは、私だけでしょうか。</p>
<p>　でも秀吉は、ちゃんと礼状を書いています。よっぽどうれしかったんでしょうが、偉いなぁ…。</p>
<p>　秀吉の頃は、すしといえば発酵させるものしかありませんでした。</p>
<p>　俗にいわれる「節分の時に巻きずしをかぶりつく『恵方巻き』の習慣は、<br />
秀吉の家来・堀尾吉晴が、節分の前日に海苔巻きを食べて出陣し、戦いに大勝利を収めた、<br />
という故事を元にしている」という説も、どうもマユツバのような気がします。</p>
<p> 　さて大阪府堺市では昔、４世紀末の応神天皇の頃から酢が造られていました。</p>
<p>その地元の名を取って「和泉酢」と呼ばれていたわけですが、秀吉の時代、製酢業者が堺から大阪へ移り、<br />
その頃から「玉迺井」の商標が用いられるようになったわけです。</p>
<p>　「玉迺井」。わかりますか。「タマノイ」。</p>
<p>あの「すしのこ」で有名なメーカー「タマノ井」は、実は非常に古くからある名前なんですね。<br />
ちなみに、「すしのこ」メーカーの「タマノ井」は1907（明治40）年の創設です。</p>
<p> 　おまけのような話ですが、現在、すし切り包丁で有名なのは高知県です。</p>
<p>　なぜこの地に刃物産業が根づいたかというと、今から400年ほど前。<br />
時の領主は長宗我部元親でありました。彼が戦地から、刀鍛冶を連れ帰ったことが発端だったといいます、</p>
<p>　戦地とは？</p>
<p>　秀吉に招かれて参戦した「北条攻め」。今の神奈川県小田原市でありました。</p>
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		<title>すしとあの人１２月号『織田信長』</title>
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		<pubDate>Wed, 23 Nov 2011 09:03:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hibino</dc:creator>
				<category><![CDATA[すしの雑学]]></category>

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		<description><![CDATA[織田信長は…、もう説明などいらぬ戦国武将ですね。
　彼が短気であったと伝えられることに関係ないとは思いますが、
彼が生きた室町後期、すしは何ヶ月も発酵させる「ホンナレ」の時代は終わっていまして、
発酵期間は短く押さえるこ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>織田信長は…、もう説明などいらぬ戦国武将ですね。</p>
<p>　彼が短気であったと伝えられることに関係ないとは思いますが、<br />
彼が生きた室町後期、すしは何ヶ月も発酵させる「ホンナレ」の時代は終わっていまして、<br />
発酵期間は短く押さえることが普通でした。<br />
これを「ナマナレ」と言います。 </p>
<p>　織田信長は永禄11年（1568）、足利義昭将軍を擁して京都に入ります。<br />
その際、将軍の寓所として二条御所を作りました。あ、これ、今の二条城とは違いますよ。</p>
<p>　その頃でしょうか、一種の戯れ歌が流されました。 <br />
　生成れ（なまなれ）の　すしにも似たる　近江衆</p>
<p>　　石を重しと　持たぬ日はなし</p>
<p> </p>
<p>　信長の命で、皇居造営のために重い石を運んでいる近江衆たちを見て、<br />
人々はナマナレのすしを思い浮かべているのでした。 </p>
<p>　信長は本能寺の変で亡くなります。その首謀者は明智光秀。<br />
では、なぜ家来の光秀が信長を討ったかというと、<br />
天正12年（1582）に行われた徳川家康への饗応の席で、光秀が接待役を仰せつかった時、<br />
膳の中に「臭い魚」があるのを信長に知られたから、という説があります。</p>
<p>　「わしの大事な接待の時に、こんな腐った魚を出しおって！　馬鹿者ぉぉぉ！！！」とブチ切れた信長。<br />
公衆の面前で、光秀は殴られるは蹴られるは…。<br />
その光秀の恨みが本能寺につながったのでは、というのですが、さて…。 </p>
<p>　この話は江戸時代に書かれたものに載っています。<br />
「臭い魚」が「フナずし」と明記されるのは、さらに時代が下ります。<br />
だいたい、すしといえば発酵食品だった信長の時代。すしを前にして「臭い」などという感覚など持ちません。</p>
<p>　むしろ信長は、すしの愛好者だったかもしれません。<br />
なぜなら、彼は御所のお湯殿（天皇の側近）に宛てて、「すし」を献上しているのです。<br />
元亀３年（1572）４月17日といいますから、本拠地は岐阜。</p>
<p>　信長は岐阜名物だったアユずしでも贈ったのでしょう。</p>
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		<title>すしとあの人・８　「三条朝成」</title>
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		<pubDate>Tue, 25 Oct 2011 04:00:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hibino</dc:creator>
				<category><![CDATA[すしの雑学]]></category>

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		<description><![CDATA[三条朝成。
誰、それ？
 平安中期に活躍した政治家で、醍醐天皇の親戚筋に当たる人です。
藤原北家の一員で、そこそこ順調に出世街道を歩むのですが、
北家自体あまり主流ではなく、まぁ、そこそこ苦労して生き延びたようです。
あ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>三条朝成。</p>
<p>誰、それ？</p>
<p> 平安中期に活躍した政治家で、醍醐天皇の親戚筋に当たる人です。<br />
藤原北家の一員で、そこそこ順調に出世街道を歩むのですが、<br />
北家自体あまり主流ではなく、まぁ、そこそこ苦労して生き延びたようです。<br />
あ、そうそう、笙の名人であったとも伝えられます。</p>
<p>　位は「従三位・中納言」までもらい、世に「三条中納言」として知られました。<br />
「従三位」ですから、いわゆる「上流貴族」の部類に入ります。 </p>
<p>　彼とすしとの関係は、説話文学の極地といわれる『今昔物語集』に載っています。</p>
<p>　太りすぎで悩んでいた三条中納言は、医師の和気重秀に相談をしました。<br />
「ワシは太り過ぎじゃ。痩せようと思うのだが、何かよい知恵はないか？」</p>
<p>　ダイエットの基本は、体重を減らすには食べる量を減らすこと、です。<br />
重秀は、「夏は水漬け、冬は湯漬けにして食べるとよろしい」と答えます。<br />
水や湯でお腹を満たせば、自然、食べるご飯も減ります。</p>
<p>　ですがしばらくして、「ちーっとも効果が現れんぞ。どうなっとるんじゃぁ！」<br />
とのクレームが中納言より入ります。そこで、重秀が中納言の食事風景を見てみると…。</p>
<p>　ご飯に水をかけて２〜３杯。<br />
さらにおかずとして、干し瓜を10切れ、アユずしを30尾、まとめてバクバク。</p>
<p>　あっけにとられた重秀は、「それだけ食べたら、やせるのは無理でしょう」と、見放してしまいました。<br />
以後の中納言は、相撲取りみたいな身体になってしまいましたとさ。 </p>
<p>　平安中期のすしといえば、フナかアユでした。<br />
もちろん、酢など使ったわけでなく、発酵によって酸味を出した発酵ずしでした。</p>
<p>　加えて、ご飯は食べない、魚の料理でした。<br />
だからこそ三条中納言は、水かけご飯の「おかず」としてアユずしを食べたのです。<br />
ま、30尾というのは食べ過ぎですけれどもね。</p>
<p>　三条朝成は、58歳で亡くなっています。彼が中納言になったのは亡くなる３年前。ということは、55歳のことです。</p>
<p>　年老いてからの大食いには、お気をつけください。</p>
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		<item>
		<title>すしとあの人・７　「青木昆陽」</title>
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		<pubDate>Thu, 22 Sep 2011 11:02:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hibino</dc:creator>
				<category><![CDATA[すしの雑学]]></category>

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		<description><![CDATA[　甘藷先生。人は青木昆陽を称してこう呼びます。江戸時代。世にサツマイモを広めた人で有名ですね。
　本来の昆陽は、どんな人だったのでしょうか。実は彼は町人・魚屋の息子。
苦学して儒学を学び、幕府書物の閲覧を許されて役所に通 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　甘藷先生。人は青木昆陽を称してこう呼びます。江戸時代。世にサツマイモを広めた人で有名ですね。</p>
<p>　本来の昆陽は、どんな人だったのでしょうか。実は彼は町人・魚屋の息子。<br />
苦学して儒学を学び、幕府書物の閲覧を許されて役所に通っているうちに、吉宗将軍の目に止まりました。<br />
そこでサツマイモ栽培をやることになる…、というストーリーですが、ま、真実は定かでありません。 </p>
<p>　さて、彼が魚屋のせがれであったこととは関係ないとは思うのですが、彼の名著『昆陽漫録』には面白い一文が書かれています。</p>
<p>　「閩書ニ云ク　骰ノ魚ハ細如米粒ノ可鮓ニストアレハ　加州ヨリ出ル松百鮓ハ骰ノ魚ノ類ナラン」</p>
<p>　「閩」というのは中国南部のこと。そこらへんで書かれた本の中に、「骰（とう）の魚は細かくしてすしにする」とあります。<br />
『昆陽漫録』は宝暦13年（1763）に書かれていますから、日本では、すしに酢を混ぜることがそろそろ王道に来るかなぁといったところですが、話は中国ですから、この「鮓」は発酵ずしです。</p>
<p>　で、続けて、「加州、加賀の国（現石川県）から出る『松百鮓』は、この「骰の魚」の類であろう」。 </p>
<p>　松百ずしは江戸時代、加賀国から将軍家の御用となったものですが（松百は七尾市にある地名）、何のすしかわかっていません。<br />
現在の七尾市には、その痕跡も伝承も残っていませんから、何の魚を漬けたか、わかっていないのです。</p>
<p>　また、「骰の魚」の正体も、私にはわかりません。字書に載っていないのですから。</p>
<p>　すし文化研究の故・篠田統先生は「タツノオトシゴだ」としておられます。ということは、「松百鮓」とはタツノオトシゴのすし？ </p>
<p>　えぇ…、これ以上はもう言いません。だいたい、中国南部と日本の石川県を並べて比較するなんて、昆陽の考察からして、もう…。</p>
<p> </p>
<p>　どなたか、調べてくださいませんか。</p>
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		<item>
		<title>【すしとあの人９月号】６・「蜷川親元」</title>
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		<pubDate>Sat, 20 Aug 2011 10:11:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hibino</dc:creator>
				<category><![CDATA[すしの雑学]]></category>

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		<description><![CDATA[「蜷川親元」って、誰だか知ってます？
ニナガワ　オヤモト？　いえ、ニナガワ　チカモト　です。
蜷川親元は室町幕府の官僚であり、歌人でもありました。
８代足利義政・９代足利義尚将軍期の政所執事代として、著名な人です。
蜷川 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「蜷川親元」って、誰だか知ってます？</p>
<p>ニナガワ　オヤモト？　いえ、ニナガワ　チカモト　です。</p>
<p>蜷川親元は室町幕府の官僚であり、歌人でもありました。<br />
８代足利義政・９代足利義尚将軍期の政所執事代として、著名な人です。<br />
蜷川家当主は、代々「新右衛門尉（しんえもんのじょう）」、通称「新右衛門」を名乗っていました。</p>
<p>「あ、足利将軍に仕えた蜷川新右衛門っていえば、一休さんに出てくる…」と考えたあなた。<br />
一休さんに出てくる「新右衛門さん」は、３代将軍・足利義満公に仕えた人。親元の父、親当（ちかまさ）だといわれています。</p>
<p>ま、お父さんも和歌の世界では、けっこう有名なんですけれどもね。</p>
<p>この人、性格なんでしょうねぇ、いついつ、だれから何をもらった、ってことを、<br />
ちゃんと日記（『親元日記』といいます）に書いているのです。</p>
<p>たとえば、寛正６年（1465）７月。７日と８日にはアユずしが、28日にはフナずしをもらったことが書かれています。<br />
くれたのは、７日が「土岐濃州」。これは当時の美濃の守護、土岐氏８代目の土岐成頼（しげより）でありましょう。</p>
<p>８日が「斉藤帯刀」。この「帯刀」というのは官職名で、正式な名前はわかりません。<br />
あるいは美濃の斉藤さんかもしれません。<br />
だとすると、美濃守護代・斎藤利藤。守護と守護代が１日違いで、アユずしを送っているのですねぇ。</p>
<p>いずれにしても、その顔の広さがうかがえます。</p>
<p>この日記には、すしが60回ほど出てきます。</p>
<p>最も多いのがフナずしで32回。ついでアユずしで、15回。<br />
あとはコイだのアメノウオだの、それから室町以降に文献に上るようになった海魚のタイやイワシだの、すべて１回ずつ。<br />
いかにフナとアユが双璧をなしていたかがわかります。</p>
<p>この日記のすごいところをもうひとつ。</p>
<p>ナマナレ（生成）ということばが、初めて文献に挙がるのが『親元日記』なのです。<br />
ご飯も一緒に食べてしまう、発酵の浅いすし、ナマナレ。</p>
<p>世に出したきっかけを作ったのが、蜷川親元だったかもよ…。</p>
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	</item>
		<item>
		<title>【すしとあの人 ８月号】５・「太田南畝」</title>
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		<pubDate>Fri, 22 Jul 2011 17:43:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hibino</dc:creator>
				<category><![CDATA[すしの雑学]]></category>

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		<description><![CDATA[ 　化政時代の人です。
江戸城警固をしていた下級武士の子として生まれ、17歳で父の後を継ぎ幕臣となりました。
一方で学問に励み、18歳で最初の著作『明詩擢材』を刊行しました。
これは、歌を作る事典のようなものですから、相 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p> 　化政時代の人です。<br />
江戸城警固をしていた下級武士の子として生まれ、17歳で父の後を継ぎ幕臣となりました。<br />
一方で学問に励み、18歳で最初の著作『明詩擢材』を刊行しました。<br />
これは、歌を作る事典のようなものですから、相当、頭がよかったんですね。実際、登用試験では、主席で合格しました。</p>
<p>　でも、この人が有名になったのは、そんなこっちゃない。</p>
<p>　狂歌師。狂歌を読ませたら、この人の右に出るものはいない！　<br />
老若男女、とにかくすべての人を笑いの渦に引っ張り込むのです。つけた号が「屬山人（しょくさんじん）」。</p>
<p> 　では、ここで歌を紹介しましょう。『狂歌百人一首』から。</p>
<p>　　　久かたの　光のどけき　春の日に　紀友則が　昼寝一時</p>
<p>　あくびでもしながら一首詠む、って紀友則の姿勢が出ていますね。</p>
<p>　　　いにしへの　奈良の都の　八重桜　さくらさくらと　歌はれにけり</p>
<p>　八重桜も歌に詠まれているうちはよいのですが、歌われちゃうほど俗っぽくなっちゃうとは…。</p>
<p>　　　わが庵は　都の辰巳　午未　申酉戌亥　子丑寅卯じ</p>
<p>　うまいっ！！　十二支が歌になるなんて。しかも、最後は「うじ（宇治）」で締めるなんて。</p>
<p> 　　　徳利は　横にこけしに　豆腐汁　あまりてなどか　酒の恋ひしき</p>
<p>　酒は呑んじゃったのに、肴の豆腐汁が余ってるからもう一本…。この人、呑ん兵衛ですね。</p>
<p>　あっと、このコーナー、テーマは「すしとあの人」でした。文化14年の歌です。</p>
<p>　　　和唐紙に　もの書くことは　御免酒や　こはだのすしに　豆腐つみ入れ</p>
<p>　唐紙（とはいうものの実は和紙）に字を書くことなんかごめんだ。<br />
あれは御免酒（江戸城の門外で供待ちしている人足向けの安い酒）やコハダのすし、<br />
豆腐のつみ入れ汁みたいに、代用品で済ませているから、といった意味です。<br />
どうやら江戸では、ご飯の代わりにオカラを使ったコハダずしが売られていたようです。 </p>
<p>　コハダずし…。ご飯でもオカラでも、私は好きなんですけどねぇ…。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>【すしとあの人 7月号】４・岡本かの子</title>
		<link>http://www.dream-plaza.co.jp/entertainment/sushi/hibino/archives/699</link>
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		<pubDate>Fri, 24 Jun 2011 05:12:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hibino</dc:creator>
				<category><![CDATA[すしの雑学]]></category>

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		<description><![CDATA[ 岡本かの子は明治22年生まれ。
小説家として名高いですが、デビューはすこぶる遅く、昭和11年から。晩年３〜４年のことでした。 
彼女の短編に「鮨」という作品があります。
舞台は、東京の下町と山の手の境い目のようなところ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p> 岡本かの子は明治22年生まれ。<br />
小説家として名高いですが、デビューはすこぶる遅く、昭和11年から。晩年３〜４年のことでした。 </p>
<p>彼女の短編に「鮨」という作品があります。</p>
<p>舞台は、東京の下町と山の手の境い目のようなところにある「福ずし」。<br />
なかなか腕の上がるご主人のようで、やがては職人を入れるようになりました。<br />
そこで働く主人の子供で、若い娘の「ともこ」が主人公です。</p>
<p> ある時、「福ずし」の店に「湊」という中年の紳士がやって来ました。<br />
鋭い理智が人柄の上に冴えて、苦味のある、しかもそれが柔和に磨いている、そんな人です。</p>
<p>髪の毛は濃く、縮れ、フランスひげを生やしています。<br />
独身であることは間違いないのですが、職業は誰にもわかりません。店ではいつか先生と呼ばれていました。</p>
<p> 「湊」がすしを頼むのはこうです。<br />
「鮪の中<strong>とろ</strong>から始って、<strong>つめ</strong>のつく煮ものの鮨になり、だんだんあっさりした青い鱗のさかなに進む。そして玉子と海苔巻に終る」…。</p>
<p> 今日、すしを食べる順序は「味の薄いものから濃いものへ」という人が多いようです。<br />
もちろん、決まっているわけではありませんが…。それから考えると、「湊」の食べ方は、まったく逆だといえますね。</p>
<p> そんな「湊」を、「福ずし」の主人は、「鮨の食べ方は巧者である」とほめています。<br />
しかも「強いて通がるところも無かった」、つまり、いちいち注釈をつけるわけでもなく、サラッとやってのけてしまったのです。</p>
<p> 岡本かの子は、すし屋でこういう人を見て育ったんでしょうか。</p>
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		<title>【すしとあの人 6月号】3・与謝蕪村</title>
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		<pubDate>Wed, 25 May 2011 10:39:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hibino</dc:creator>
				<category><![CDATA[すしの雑学]]></category>

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		<description><![CDATA[今回は江戸時代中期の画家であり俳人でもあった与謝蕪村です。
蕪村は大坂・都島の出ですが、20歳の頃から江戸に出て俳句を学びました。
その後、栃木へ移り住み、さらに松尾芭蕉をしのんで東北を旅し、
そののち、丹後・讃岐と居を [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今回は江戸時代中期の画家であり俳人でもあった与謝蕪村です。<br />
蕪村は大坂・都島の出ですが、20歳の頃から江戸に出て俳句を学びました。<br />
その後、栃木へ移り住み、さらに松尾芭蕉をしのんで東北を旅し、<br />
そののち、丹後・讃岐と居を点々とし、京都に落ち着いたのは42歳の時でした。</p>
<p>彼の句には、すしを詠み込んだものが多いことで知られています。<br />
たとえば、</p>
<p>すし桶を　洗へば浅き　遊魚かな</p>
<p>小川の水ですし桶を洗っていると、小魚たちも寄ってきます。</p>
<p>すしを圧す我　酒醸す隣あり</p>
<p>我が家ではすしを作るし、隣では酒を作る。仲のよろしいお隣さんですねぇ。<br />
蕪村が好んだのは酢を入れて作る早ずしではなく、何ヶ月も寝かせる発酵ずしでした。</p>
<p>馴れ過ぎた　すしをあるじの　遺恨哉</p>
<p>残念！　すしが発酵しすぎちゃった。ちっくしょーーー！！！</p>
<p> 鮒ずしや　彦根の城に　雲かかる</p>
<p>すし桶から彦根城を連想するなんて、なんとスケールの大きい話でしょう。<br />
でも、この人、江戸だの栃木だのと東の生活が長かったのに…。</p>
<p>蕪村の頃は、発酵させるすしは下火でした。</p>
<p>夢さめて　あはやとひらく　一夜ずし</p>
<p>時代は、すぐふたの開けられる一夜ずしで、近江のフナずしなど、時代遅れでした。</p>
<p> すしつけて　誰待つとしも　なき身哉</p>
<p>発酵ずしを漬けても、誰も食べさせる人がいない…。<br />
なんとも、もの悲しい俳句です。</p>
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		<title>【すしとあの人 ５月号】２・清少納言</title>
		<link>http://www.dream-plaza.co.jp/entertainment/sushi/hibino/archives/686</link>
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		<pubDate>Fri, 22 Apr 2011 09:25:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hibino</dc:creator>
				<category><![CDATA[すしの雑学]]></category>

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		<description><![CDATA[前回の続きのような話をしましょう。今回は平安美女の清少納言です。
でも、彼女がおすしが好きだった、とかいう記録が残っているわけではありません。
その前に、谷川士清（たにかわことすが）という人はご存じでしょうか。
宝永６年 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>前回の続きのような話をしましょう。今回は平安美女の清少納言です。<br />
でも、彼女がおすしが好きだった、とかいう記録が残っているわけではありません。</p>
<p>その前に、谷川士清（たにかわことすが）という人はご存じでしょうか。</p>
<p>宝永６年（1709）、三重県に生まれた、江戸時代の国学者です。<br />
彼の著作に『和訓栞（わくんのしおり）』というのがあります。まぁ、一種の百科事典ですね。</p>
<p>その中を見てみましょう。「いすし」の項目です。<br />
「いずし」といえば、サケやハタハタを使う東北地方のすしを思い浮かべられると思いますが、ここでは「貽貝のすし」の意味。<br />
『延喜式』にも載っていると書いてあるのですが、現代には残っていないのが残念です。</p>
<p>そこでは前回お話ししたような『土佐日記』の話が記され、<br />
さらに「枕草紙に名おそろしき部にいにすしと見えたるも同物にや」、<br />
つまり、清少納言が『枕草子』の中で「名おそろしきもの」に「いずし」を挙げている、と続けているのです。</p>
<p>さっそく、私も『枕草子』を買って読みました。もちろん、現代語訳のものですが。<br />
「名おそろしきもの」。あぁ、ここだ、ここだ。</p>
<p>「いにずみ」！？　「消し炭」のこと！？　あれ？</p>
<p>「み」の字は「ミ」のくずし字。これは「シ」の字のくずし字にも読めます。<br />
つまり「名おそろしきもの　いにずし」とあるのはふたつ解釈があって、<br />
ひとつが「貽ずし」、もうひとつが「いにずみ」だったということ。私が買ったのは、後者だったのです。</p>
<p>それにしても、「いにずし」を「貽ずし」と読むとは、ちょっと無理がありません？<br />
「に」の字を勝手になくしちゃうなんて。</p>
<p>ちょっと清少納言さん。あんたがもう少しはっきり書いておいてくれれば…。<br />
んっとにもう、後世の人泣かせですなぁ。</p>
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