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日比野日誌

すしの歴史・文化

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高度経済成長期にもかげりが見られて、世は低成長時代。
あんなににぎわっていた高い高いおすし屋さんも、閑古鳥がなく始末です。
本当に力のないすし屋は、どんどん閉店してゆきました。

その少し前。時代にすると昭和40年代の初め頃。
東大阪のすし屋さんが、めずらしい商売を始めました。すしは全品同価格。
しかも、すしはあらかじめ握って皿の上に乗り、その皿がぐるぐる周ってくる…。
そう、「回転ずし」だったのです。

じつはこの商法、目新しいものではなくて、実は握りずしの屋台が出てきた時とほぼ同じだったんですね。
ただ、衛生法などの問題で、昭和20年代にはすし屋の屋台は消滅。
ですから、20年経って、昔の商法が「復活」したんです。

でも、街ではそんな昔の話なんか知りません。
「安いすし屋の新登場」となって、人気は大評判。その数は、右肩上がりに伸びてゆきました。

今では、低成長時代を生き残ってきた超高級なすし屋と安い回転ずし屋が立ち並び、
私たちの食生活を満足にしてくれています。

世の中からは戦争の匂いもなくなり、だんだんと落ち着いてきました。
「飲食営業緊急措置令」などはもはや有名無実化し、
どんなすしでも自由に売り買いできるようになったのですが、
「すし」と言えばだれもが「握りずし」を連想する時代になってゆきます。

そして迎えた高度成長期。所得は伸び、交通は発達し…。
生活の向上は、目を見張るものがありました。
すしとて例外ではありません。

会社は、いわゆる「接待」が盛ん。
同じ接待だったら、値段の高いすしの方がいい。
こうしてすしは、社用族の、高級料理になってゆきました。
「ここはマグロが旨いからそれを食って、
次の白身魚はあっちの店へ行って、締めの巻き物は、
ちょっと遠いけどタクシー拾って向こうの店へ」
なんてこと、本当にあったものです。
あぁ、ばかばかしい。
それでいて、こういうやつほど味オンチな人が多いんだから…。

まるで当局をペテンにかけたようなやり方でしたが、
東京でこれが認められると、
「東京(都のすし屋)はうまいことをやったな。じゃ、俺たちも…」というわけでしょう。
各県でもこの作戦が取られ、それが各地で認められてゆきます。

ところが、お役所へ出す届け出まで「右に同じ」。
みんな一緒になっちゃった。つまり、お店で正当な商売をしようと思ったら、
1合で「握りずし」が「10カン」でなくてはいけなくなってしまったのです。
箱ずしで名を馳せた大阪やサバずしで有名な京都などでも、
「箱ずしやサバずしではダメ! だけど、東京の握りずしならOK」。
こうして東京の郷土料理に過ぎなかった握りずしは、
全国制覇することになったのです。

戦後、物資が豊かになりました。
すし屋が飲食業か加工業かは、論じられることもなくなりました。
箱ずしもサバずしも、その他、どんなすしでも、自由に売ることができます。
が、すしの世界は「東京一極集中主義」が未だに続いているのです。

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