日比野日誌
すしの歴史・文化
稲荷ずしの話をしましょうか。あれ、もともとは、巻きずしでした。
はじめは油揚げで巻いた、ちょうど前回のこのコーナーで紹介した「南関揚げの巻きずし」のようなものだったと思われます。そのうち、袋状の油揚げの中に ご飯を入れるようになりました。それは細長い袋だったのでしょう、「1本」のすしを4つに切って売っておりました。嘉永5年と言いますから江戸も終わりの 頃、『近世商賈尽狂歌合』という本に、稲荷ずし売りのおじさんの絵と、売り口上の文句とが載っています。「壱本が十六文、ありがたい。半ぶんが八文、あり がたい。一ト切が四もん…」と、威勢がよいものです。
江戸の風俗を描いた明治の本『天言筆記』は、油揚げの中に「豆腐ガラ」、つまりオカラを入れて売っていただの、ワサビ醤油で食べていただのと書いていま す。いろいろな方法で売られていたのはわかりますが、値段は「はなはだ下値」だったとも言われています。