日比野日誌

すしの雑学

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苗字は「三条西(さんじょうにし)」。京都のお公家さんです。
康正の生まれですから1455年頃。室町中期の人ですね。
幼くして父や兄と死別し、母方の叔父の後見を受けて家督を相続したのは5歳の時。
12歳の時、応仁の乱が発生し、邸は焼失しています。ただしご本人は鞍馬山に逃げていて無事。そうして、50歳を過ぎてから内大臣になりました。

この人、天皇家とは深いつながりを持っており、足利義政や義澄など将軍家とも周防の大内義隆とも交流があった人ですが、一般には、政治家としてよりも文化人として知られておりました。
一条兼良といっしょに和歌を発展させ、宗祇から古今伝授を受け、武野紹鴎に茶道を教え、と、つき合いは多岐にわたっておりました。
とくに晩年は、一流の歌人と称されることになりました。

今日、この人の62年にわたる日記が残っています。その名も『実隆公記』。
日常のこまごましたことが克明に記され、偉くなってゆくにつれて饗応や贈答品が多くなっていることがよくわかります。

すしの贈り物も見られます。アユずしは、身近な京都近郊のものか大和の産。タイやハモなんかもありますね。
円(まる)ずし。これは「宇治丸」のことだと思われます。「宇治丸」はウナギのすし。もちろん、当時のすしといえば、発酵させたナマナレでした。

注目すべきは享禄2年(1529)。74歳の実隆翁は「光応寺」から「罐鮓」を贈られています。この「罐鮓」」とは?

その前に、「光応寺」とは「光応寺殿」、つまり本願寺8代法主・蓮如の六男・蓮淳のこと。
本願寺では、法主にはならなったにせよ、9代法主の弟、10代法主の祖父で、極めて長生きでしたから、権力を欲しいままにしました。あ、10代法主が証如ですよ。

いや、三条西実隆のつきあいは、ものすごいですねぇ。

で、光応寺殿・蓮淳は畿内を中心に勢力を伸ばしていた人ですから、「罐鮓」とは大和吉野の名物・釣瓶ずしではなかったかといわれています。

だとすれば、これは『石山本願寺証如上人日記』よりもはるかに古い、いや、わが国最古の釣瓶ずしの記録になるわけですな。

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