日比野日誌

すしの雑学

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 「かわばたぎょくしょう」と読みます。本名は滝之助。明治時代に活躍した画家です。

 天保13年、京都で生まれましたが、慶応2年、24歳で江戸に越してきました。美学者の岡倉天心との親交は厚く、47歳の時、東京美術学校、現在の東京藝術大学に、日本画の教師として招へい。翌年、教授に就任します。

晩年は川端画学校を設立し、洋画も含めて日本の美術史を牽引した人ですね。

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 さて、この人。一見、すしとは何の関係もないようにみえますが、実は、近代日本のすしの原点を書き残した人なのです。よく引用される、明治42年刊の小泉迂外の本、『家庭 鮓のつけかた』ってのがありますね。

小泉迂外といえば俳句の先生でしたが、なんたって有名なのは東京は両国の名門、握りずしの発祥の店といわれる「与兵衛ずし」の実の弟。一流の国学者が実家の商売をネタに本を書いちゃったものだから、その中身は間違いない。くわえて口絵にも、当代きっての「与兵衛ずし」が出した自慢のすしを紹介したい。ですから、ハンパな絵じゃ話になりません。そこで選ばれた画伯が、当時、いちばん力のあった川端玉章先生。

かくして、名著が発刊されたというわけです。

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 色鮮やかなる筆致は素人目にも立派なもの、と想像は致しますが、本当の絵の素人である私には、細かな具合まではよくわかりません。ただ、握った魚や握りの大きさなど、当時のすしの様子は素人にもよくわかります。写真などなかった時代ですから、重宝な資料でもあります。

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 とまぁ、ここまではよくいわれることですが、この絵には「下絵」がありました。

 「下絵」はすしの絵が貼り混ぜになっていう上、だれの作なのか、作者名もなくわからないのですが、その絵たるや、まさに「与兵衛ずし」のすし。まさに川端玉章の絵なのです。

これが、明治10年の内国勧業博覧会で出品されているのを興味深く見てた、と、想い出話に語る人がいます。

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なお、この絵も「下絵」も、現在では原本が行方不明です。おそらくは、関東大震災か東京大空襲で焼かれてしまったのかもしれません。

 川端画伯のファンでなくとも、寂しいですねぇ…。

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