日比野日誌

すしの雑学

バックナンバーはこちら

 前回に引き続いて市川團十郎ですが、今回は九代目。天保から明治の人です。

 あ、その前に「助六ずし」の誕生にまつわる、もうひとつの説も紹介しておきましょう。
場所は名古屋。今の熱田区だったそうです。
四代目の助高屋高助、といいますから、時代は明治12年(1879)から19年(1886)のことだったでしょう。
芝居を演じた後に、ひいき衆からすしの差し入れがありました。夏場のこととて生ものは避け、巻きずしと稲荷ずしの盛り合わせ。
これを差し出すと、高助は「おぉ、助六かぁ」といったという話があります。

 だから「助六ずしは名古屋生まれ」という人がいますが、どうですかね。
もっとも、「助六ずし」が「巻きずしと稲荷ずしのセット」という意味で使われるのは、名古屋地方だけだそうです。

 さて、九代目・市川團十郎の話です。
九代目は七代目の次男でして、兄は八代目の團十郎。
自分は河原崎家へ養子に入り、嘉永5年(1852)、初代の権十郎を名乗ります。
ところがその2年後、兄は自殺。この頃から「次代の團十郎」の呼び声は高くなりますが。
彼の評判は、台詞が重々しいだの、芝居が軽いだのと、悪いものばかりでした。

 明治元年(1868)、河原崎家の座元という重責をこなし、7年(1874)には川原崎座を復興。
これを機に市川家に戻り、九代目・市川團十郎を襲名します。
といっても、襲名直後は、あの悪い噂に泣かされ、ようやく芽が出たのは明治9年(1876)頃だといいます。 ?

 この明治9年という年は、九代目にとってエポックメイキングな年でした。
十二代目・守田勘彌に招かれて、新富座の舞台へ上がるようになるのです。
これが團十郎人気に拍車をかけました。その新富座というのが、先回述べた「蛇の目鮨」、「助六ずし」の発祥といわれる、あの「蛇の目鮨」が、すしを届けた新富座。
新富座で九代目の当たり役といえば、ご存知、「助六由縁江戸桜」の花川戸助六でした。

 人々は「助六ずし」を食べながら、九代目・市川團十郎の「助六」の名演に酔っていたことでしょう。

月別に記事を読む
Events Calendar
January 2014
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
交通アクセス
駐車場サービス
営業時間※一部店舗により異なります
ショップ10:00 〜 20:00
レストラン11:00 〜 21:00

年中無休各店舗営業時間の詳細はコチラ

ドリームプラザコールセンター

054-354-3360(10:00 〜 21:00)

お得なサービス 平日限定シネマまる得サービス 清水エスパルス後援会会員サービス 朝日テレビカルチャー会員サービス
無料サービス

来るたびにポイントがたまる!!

ドリプラタッチャン ドリプラタッチャン QRコード
パートナー募集 契約農家さん募集
エスパルスドリームプラザのモバイルサイト エスパルスドリームプラザ モバイルサイト QRコード

ケータイサイトもお得な情報が満載