日比野日誌
すしの雑学
「日本近代詩の父」と呼ばれた萩原朔太郎。大正〜昭和時代の詩人です。
ですが今回は「萩原朔太郎自身とすし」ではなく、朔太郎が評した俳句の中に出てくるすしの話です。
その俳句の作者が与謝蕪村。ここのページにも、前に出てきましたね。
江戸時代中期の、画家であり、そして俳人でもあった人ですが、彼は相当すしが好きだったらしく、
すしを詠んだ俳句はたくさんあります。これも紹介しました。
朔太郎も蕪村の俳句を論じているのですが、私のようないい加減な評価ではなく、
ことばもひとつひとつ吟味しています。
たとえば、「鮒ずしや 彦根の城に 雲かかる」の評。
私はすし桶から彦根城を連想するなんて、なんとスケールの大きい…、とか何とか言いましたが、
朔太郎は、「鮒鮓を食ったのではなく、鮒鮓の聯想(れんそう)から、心の隅の侘(わび)しい旅愁を感じたのである」…。
そうか、蕪村はフナずしを、実際に食ったわけじゃないのか…。
次はこの句。「卓上の 鮓に目寒し 観魚亭」。
私なんざテーブルにあるすしが寒々しい、くらいにしか思いませんが、
朔太郎氏は、「「卓」という言葉、また「観魚亭」という言葉によって、それが紫檀(したん)か何かで出来た、
支那風の角ばった、冷たい感じのする食卓であることを思わせる」と解き、
「その卓の上に、鮮魚の冷たい鮓が、静かに、ひっそりと、沈黙して置いてある」と続けます。
う〜ん、何の変哲もなかったこの俳句が、シュールな作品らしく思えてきた…。
「寂寞(じゃくまく)と 昼間を鮓の なれ加減」
朔太郎先生は言います。鮓は、静かに冷却して、暗所に置かねばならない。
寂寞たる夏の白昼(まひる)、万象の死んでいる沈黙(しじま)の中、
その鮓は、時間の沈滞する底の方で、静かに、冷たく、永遠の瞑想に耽(ふけ)っている。
宇宙の恒久と不変に関して、或る感覚的な瞳を持つところの、一のメタフィジカルな凝視がある、と。
…私には文学を語る資格など、ないようです。