日比野日誌

すしの雑学

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織田信長は…、もう説明などいらぬ戦国武将ですね。

 彼が短気であったと伝えられることに関係ないとは思いますが、
彼が生きた室町後期、すしは何ヶ月も発酵させる「ホンナレ」の時代は終わっていまして、
発酵期間は短く押さえることが普通でした。
これを「ナマナレ」と言います。?

 織田信長は永禄11年(1568)、足利義昭将軍を擁して京都に入ります。
その際、将軍の寓所として二条御所を作りました。あ、これ、今の二条城とは違いますよ。

 その頃でしょうか、一種の戯れ歌が流されました。?
 生成れ(なまなれ)の すしにも似たる 近江衆

  石を重しと 持たぬ日はなし

?

 信長の命で、皇居造営のために重い石を運んでいる近江衆たちを見て、
人々はナマナレのすしを思い浮かべているのでした。?

 信長は本能寺の変で亡くなります。その首謀者は明智光秀。
では、なぜ家来の光秀が信長を討ったかというと、
天正12年(1582)に行われた徳川家康への饗応の席で、光秀が接待役を仰せつかった時、
膳の中に「臭い魚」があるのを信長に知られたから、という説があります。

 「わしの大事な接待の時に、こんな腐った魚を出しおって! 馬鹿者ぉぉぉ!!!」とブチ切れた信長。
公衆の面前で、光秀は殴られるは蹴られるは…。
その光秀の恨みが本能寺につながったのでは、というのですが、さて…。?

 この話は江戸時代に書かれたものに載っています。
「臭い魚」が「フナずし」と明記されるのは、さらに時代が下ります。
だいたい、すしといえば発酵食品だった信長の時代。すしを前にして「臭い」などという感覚など持ちません。

 むしろ信長は、すしの愛好者だったかもしれません。
なぜなら、彼は御所のお湯殿(天皇の側近)に宛てて、「すし」を献上しているのです。
元亀3年(1572)4月17日といいますから、本拠地は岐阜。

 信長は岐阜名物だったアユずしでも贈ったのでしょう。

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