日比野日誌
すしの雑学
三条朝成。
誰、それ?
?平安中期に活躍した政治家で、醍醐天皇の親戚筋に当たる人です。
藤原北家の一員で、そこそこ順調に出世街道を歩むのですが、
北家自体あまり主流ではなく、まぁ、そこそこ苦労して生き延びたようです。
あ、そうそう、笙の名人であったとも伝えられます。
位は「従三位・中納言」までもらい、世に「三条中納言」として知られました。
「従三位」ですから、いわゆる「上流貴族」の部類に入ります。?
彼とすしとの関係は、説話文学の極地といわれる『今昔物語集』に載っています。
太りすぎで悩んでいた三条中納言は、医師の和気重秀に相談をしました。
「ワシは太り過ぎじゃ。痩せようと思うのだが、何かよい知恵はないか?」
ダイエットの基本は、体重を減らすには食べる量を減らすこと、です。
重秀は、「夏は水漬け、冬は湯漬けにして食べるとよろしい」と答えます。
水や湯でお腹を満たせば、自然、食べるご飯も減ります。
ですがしばらくして、「ちーっとも効果が現れんぞ。どうなっとるんじゃぁ!」
とのクレームが中納言より入ります。そこで、重秀が中納言の食事風景を見てみると…。
ご飯に水をかけて2〜3杯。
さらにおかずとして、干し瓜を10切れ、アユずしを30尾、まとめてバクバク。
あっけにとられた重秀は、「それだけ食べたら、やせるのは無理でしょう」と、見放してしまいました。
以後の中納言は、相撲取りみたいな身体になってしまいましたとさ。?
平安中期のすしといえば、フナかアユでした。
もちろん、酢など使ったわけでなく、発酵によって酸味を出した発酵ずしでした。
加えて、ご飯は食べない、魚の料理でした。
だからこそ三条中納言は、水かけご飯の「おかず」としてアユずしを食べたのです。
ま、30尾というのは食べ過ぎですけれどもね。
三条朝成は、58歳で亡くなっています。彼が中納言になったのは亡くなる3年前。ということは、55歳のことです。
年老いてからの大食いには、お気をつけください。