日比野日誌
すしの雑学
? 化政時代の人です。
江戸城警固をしていた下級武士の子として生まれ、17歳で父の後を継ぎ幕臣となりました。
一方で学問に励み、18歳で最初の著作『明詩擢材』を刊行しました。
これは、歌を作る事典のようなものですから、相当、頭がよかったんですね。実際、登用試験では、主席で合格しました。
でも、この人が有名になったのは、そんなこっちゃない。
狂歌師。狂歌を読ませたら、この人の右に出るものはいない!
老若男女、とにかくすべての人を笑いの渦に引っ張り込むのです。つけた号が「屬山人(しょくさんじん)」。
? では、ここで歌を紹介しましょう。『狂歌百人一首』から。
久かたの 光のどけき 春の日に 紀友則が 昼寝一時
あくびでもしながら一首詠む、って紀友則の姿勢が出ていますね。
いにしへの 奈良の都の 八重桜 さくらさくらと 歌はれにけり
八重桜も歌に詠まれているうちはよいのですが、歌われちゃうほど俗っぽくなっちゃうとは…。
わが庵は 都の辰巳 午未 申酉戌亥 子丑寅卯じ
うまいっ!! 十二支が歌になるなんて。しかも、最後は「うじ(宇治)」で締めるなんて。
? 徳利は 横にこけしに 豆腐汁 あまりてなどか 酒の恋ひしき
酒は呑んじゃったのに、肴の豆腐汁が余ってるからもう一本…。この人、呑ん兵衛ですね。
あっと、このコーナー、テーマは「すしとあの人」でした。文化14年の歌です。
和唐紙に もの書くことは 御免酒や こはだのすしに 豆腐つみ入れ
唐紙(とはいうものの実は和紙)に字を書くことなんかごめんだ。
あれは御免酒(江戸城の門外で供待ちしている人足向けの安い酒)やコハダのすし、
豆腐のつみ入れ汁みたいに、代用品で済ませているから、といった意味です。
どうやら江戸では、ご飯の代わりにオカラを使ったコハダずしが売られていたようです。?
コハダずし…。ご飯でもオカラでも、私は好きなんですけどねぇ…。