日比野日誌
すしの雑学
常陸屋の小林某。太平洋戦争後の混乱期に、東京の上野に居を構えていた人です。この人は、ほら覚えていますか、かつてこのコーナーで、カウンター席と小上 がり席が一緒になったお店の形式は、戦後の品不足が原因だったという話を書きましたね。あのアイディアを出した人なのです。店も何もかもみんな丸焼けに なってしまった時、このコラボレーションがいちばんお手軽な価格だったのでしょう。こぞって「常陸屋式の店舗」を築いたものでした。
さてこの小林某。店舗は持たず、個別訪問式で販売するという方法をとっていました。また、自分の目にかなった若い調理師がいると、お金を出してお店の設計をし、店を持たせてしまうという人物。もちろん、資金は毎日の売り上げからさっ引いて回収したのですが。
彼のアイディアはそれだけではありませんでした。客の目の前にガラスケースを置き、下に氷を敷いたり…。あ、そうだ。水道の蛇口も彼の発想でした。次回はこの話です。