日比野日誌
すしとあの人
私事ですが、毎年、正月には、京都市伏見の乃木神社へ行きます。そんなに大きな神社でもないのですが、とある事情で、年始のお決まりの行事になっています。
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乃木神社はいうまでもなく「乃木希典」をお祀りしているところ。京都で乃木神社とは?と首をかしげる人もいるでしょうが、ここは伏見桃山地区。すぐ近所には明治天皇陵があります。明治天皇崩御とともに、夫人とともに自刃したのが乃木希典でした。ですからここに「乃木神社」が祀られているわけです。
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乃木神社は各地にあります。
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乃木の生まれは東京でした。父親は長州藩の支藩・長府(現・下関市)藩士で、その江戸屋敷に勤めていた時、乃木が生まれたのでした。やがて父について長府へ下り、実質上、ここが乃木の故郷となります。死後、旧宅近くに乃木記念館が建ち、その後、その隣に神社が建てられました。
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幕府の長州征伐に対抗し、その後も朝廷側について活躍します。そして22歳の時、乃木は上京し、東京鎮台の少佐に大抜擢されます。東京での活躍ぶりはここに書くまでもありませんね。大日本帝国陸軍の重鎮として、多大な功績のあった乃木。日清戦争、日露戦争と、2度にわたる旅順陥落で、国民的英雄となっておりました。
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また学習院の院長としても名を馳せ、昭和天皇の教育係も勤めました。
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東京・赤坂の乃木神社は、乃木の英霊を祠るため、東京市長・阪谷芳郎らが「中央乃木会」を発足させて創建したもの。いわゆる上意下達で作られたのではなく、民間の声が集まってできたものです。そういえば、彼が住んだ赤坂には「幽霊坂」なる坂がありました。でも、乃木が住んでいたことから、赤坂の区議会は改名の議決をしたとか。
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さて、明治40年(1907)、伊豆への湯治の一方で、長らくの念願だった長府への凱旋が実現します。元旦あら9日まで、乃木は「ふるさと」の人々の歓迎を受けました。
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4日、午前中に豊浦小学校で訓話。午後には将軍を囲んでの大懇親会となりました。当日は、朝から花火が上がり、能狂言の余興まで催されました。参加者、258名。全てに酒3合と皿盛り。加えて、すしやブリの焼肴、天ぷら、かまぼこ、果物などがついていたそうです。
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明治末年の下関でのすしって、どんなものだったんでしょう。