日比野日誌
すしとあの人
ご存知、「五千円札の人」です。お札の肖像画に年配の男性が多いのは、顔にシワやヒゲがあって、偽造しにくいから、なんだそうで、女性としては神功皇后以来、123年ぶりのことでありました。
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樋口一葉は東京の生まれ。父親は学問好きな人で、不動産の売買で生計を立てておりました。一葉も恵まれた少女時代を送っており、学校を主席で卒業するなど、才媛ぶりを発揮していました。
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ところが父の事業が失敗し、また、頼りだった兄は亡くなります。やがて父もこの世を去りますと、たちまち一家は没落。家計の主となった一葉は、この時、わずか17歳でした。
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21歳の頃には生活苦打開のため、下谷に移り住みます。すぐ近くには、あの「吉原」があるところ。そこで駄菓子屋を始めますが、若い娘、しかも、学校では成績がトップクラスであった人間からすれば、なんと風紀が悪かったことでしょう。でもこの時の経験が、のちの「たけくらべ」の題材となったのです。
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翌年、一葉は店を閉め転居。やがて「大つごもり」を上梓し、以後、「たけくらべ」「うつせみ」「にごりえ」などを発表します。この時期が「奇跡の14ヶ月」と呼ばれるもので、一葉の家は毎晩、同好の士が集まる、まるで文学サロンのようなものでした。一葉は、かいがいしく、すしやうなぎを出前にとって、もてなしています。
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「たけくらべ」は、少し勝気な娘で廓住まいの美登利と、僧侶の息子で、真面目で内向的な信如との淡い恋物語を、吉原を中心とした東京の子どもたちの生活とともに、みごとに描き出した名作です。
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中にこんなシーンがあります。美登利は同級生に草履を投げつけられ、翌朝、学校へ行くのも渋りがち。朝ごはんさえ食べずにいますと、母が「それなら後で『やすけ』でもあつらえようか」と心配顔をしています。
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この「やすけ」が「すし」なのです。もともと「弥助」とは歌舞伎「義経千本桜」の主人公・平維盛のことで、彼がすし屋で働いていた頃の名前からきたものでした。もちろん、「義経千本桜」の時代には、「すし」といえば酢を使わずに発酵させたものでしたが、一葉の描く「やすけ」は違ったでしょう。娘の具合を案じてあつらえさせるのですから、海苔巻きずしか何かだったと推察します。
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こんな一葉も、享年、25歳。若くして亡くなりました。天才は薄命でした。