日比野日誌

すしとあの人

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すしとあの人 2月号 107「榎本健一」

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明治37年(1907)、東京の青山生まれ。

小さい頃からやんちゃで、浅草は遊び場のひとつでした。

その浅草で、オペラ歌手として15歳で初舞台を踏み、徐々に頭角をあらわしましたが、関東大震災で焼け出されて、京都へ。

ここで喜劇俳優としての未来は決まり、その後、古巣の浅草に戻ってからの人気ぶりは紹介するまでもありませんね。

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戦前の喜劇界を牽引した人物です。

喜劇俳優としての知名度はいうまでもなく、映画俳優、監督、そして歌手と、まさに大活躍。

浅草を地盤とした「下町のエノケン」、

そればかりか「日本の喜劇王」の名で世を席巻しました。

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ただ、戦後は息子の死、そして右足の切断と不遇続きで、

数回、自殺未遂まで経験します。

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舞台も消極的になりはしましたが、面倒見はすこぶるよく、晩年は後進の指導もしたそうです。

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昭和42年(1967)、

当時、若者に人気のあったフォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」をカバーし、老優ながら(といってもまだ60歳そこそこでしたが)、その存在を示したのでした。

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酒の大好きな人でありましたが、すしとの関わりは、ほとんどありません。

昭和11年(1936)末封切りの「吾妻錦絵江戸っ子三太」は

エノケン映画の大人気作で、

劇中に出てくるエノケンがワサビのすしを食べるシーンは絶品、だとか、

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アメリカ南北戦争の行進曲だったのを大正時代に添田知道が日本的に作詞・編曲した曲「パイのパイのパイ」は、

エノケンはじめ多数の人がカバーしたものがあり、

中に、東京名物としてすしを歌い上げている、だとか、そのくらいですね。

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さて、エノケンが闊歩していた時代、浅草にはすし屋が多い通りがありました。

今は昔ほどではありませんが、すし屋通りの名前は残っており、

アーケードの入り口にはすし屋通りの看板があります。

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そして、その隣にはエノケンの顔が。

すしとエノケンは浅草を語るときには、欠かせないものなんですねぇ。

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