日比野日誌

すしとあの人

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すしとあの人 9月号 102「孝明天皇」

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江戸時代、最後の天皇ですね。

ペリーの黒船来航の時の天皇で、

それがもとで将来の海外嫌いが攘夷論者の最高峰になっちゃいました。

しかし天然痘にかかり、この世を去ります。35歳の若さでした。

ただ、この天然痘説。実は表立っての死因で、裏では、毒殺説があるのです。

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側近の医師たちが残した記録では、

孝明天皇は慶応3年(1867)12月12日に発熱をして、それ以降、公務は休みましたが、

病状がいっこうによくならないため、16日には他の医者を呼び、症状を再診断しました。

すると、天然痘にかかっていることがわかり、

それ以降は15名の医者が常に待機し、24時間交代で治療をおこないました。

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その甲斐あって、天皇の病状は回復に向かいました。

12月21日には、27日に天皇の全快祝いの会を催すことまで発表されたそうです。

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ところが、24日になると容態が急変し、

激しい咳と下血が出るほどの症状へと悪化したのです。

そして翌25日の午後11時、天皇は亡くなるのです。

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時は流れて、昭和50年(1975)、

孝明天皇の最後を看取った医者・伊良子光順の記録が発見され、

天皇の死因がヒ素中毒、しかもそのヒ素は島根県石見の産らしい、

とまでわかったというのです。

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荒唐無稽とも思われるこの説は、案外、信ぴょう性を持っているのです。

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孝明天皇は攘夷論者だと書きました。

それは事実ですが、だからといって、

幕府を頭から毛嫌いしているわけではありませんでした。

家茂将軍が上洛の時も松平容保が京都守護職に赴任した時も喜び、

むしろ幕府と協力して、世を治めていこうとしていたのです。

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さぁ、そうなると困るのは、朝廷の中の反幕府勢力、それも急進派です。

岩倉具視などはその最有力ですが、彼らが願うことは、

「なんとかしてお上に考え直してもらおう。いや、一層の事、死んでくれないかなぁ」。

そんな時、孝明天皇が亡くなりました。ヒ素中毒が濃厚だという説までつけて…。

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誰が殺したのかもわかっていませんで、諸説ありますが、

一説には岩倉具視の妹・堀河紀子ではないかといわれています。

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また、どこにヒ素を盛ったのか。

これにも説があって、ある祝いの席で、孝明天皇の好物・色飯(炊き込みご飯)、

もしくはちらしずしに乗っていた錦糸卵に混ぜておいたというものがあります。

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さすがにここまでくると、歴史秘話とはいえなくなりそうな話ですが…。

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