日比野日誌

すしとあの人

バックナンバーはこちら

すしとあの人 8月号 101「井伊直弼」

-

安政7年(1860)、江戸城外、桜田門にて大老・井伊直弼が水戸浪士に首を討たれます。

この事件は桜田門外の変として有名ですね。

-

一方、ツバキは花が咲いた後、花びらを1枚ずつ落としてゆくわけではなく、

花の根元からズボッとちぎれて花を落とすので、

これをたとえて、別名は彦根の殿様。

彦根は井伊の領国地でした。

-

彦根といえば名物・フナずし。

ですから井伊家とフナずしの関係を…、と思ったのですが、

今日は少々、変化球を出しましょう。「千歳鮨」です。

-

-

井伊直弼は、幕末期、やんちゃのかぎりを尽くした人物だと思われていますが、

実は相当の知識人で、茶人としては「宗観」の雅号も持っているほど。

200回以上もの茶会記を残しており、著書『茶湯一会集』は近世茶書の圧巻ともいわれます。

菓子については「松風、友千鳥は京製、ふのやきは手製、羊羹は伏見のものである」など、

一家言を持っていたようです。

-

-

ただ、菓子の銘に関しては、凝った銘はわずらわしいと、井伊はいっています。

-

茶碗、茶器、茶杓、香合などの茶道具には銘がありますから、

菓銘まで凝るとなるとうっとうしいわけです。

だいたい当時のお茶は少人数でおこない、食事を伴う「茶事形式」が基本でした。

彼の流派は利休の流れを汲む武家茶道の石州流。

侘びの精神を尊びながらも、主役はお茶で、菓子はあくまでも従。

脇役に徹する意味でも、菓子に銘は不要と考えたのでしょう。

-

-

さて、彼が催した茶会の菓子に「千歳鮨」という名が出てきます。

菓子なのに「鮨」なんておかしいようですが、

江戸時代の菓子の製法に「鮨饅頭」というのがあります。

「求肥(ぎゅうひ)を煎粉(いりこ)に漬ける」と書かれていますから、

魚を飯に漬ける発酵ずし(ナレズシ)のように、木箱や桶に粉か砂糖を満たし、

その中に求肥を入れていたとも考えられますね。

-

-

現在、「千歳鮨」は、菓舗・虎屋さんが作っています。

同店によれば、求肥で餡を包み、和三盆糖をまぶしたものだそうです。

-

-

というわけで、今回の「千歳鮨」は、本当のすしではありませんでした。

月別に記事を読む
Events Calendar
January 2014
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
交通アクセス
駐車場サービス
営業時間※一部店舗により異なります
ショップ10:00 〜 20:00
レストラン11:00 〜 21:00

年中無休各店舗営業時間の詳細はコチラ

ドリームプラザコールセンター

054-354-3360(10:00 〜 21:00)

お得なサービス 平日限定シネマまる得サービス 清水エスパルス後援会会員サービス 朝日テレビカルチャー会員サービス
無料サービス

来るたびにポイントがたまる!!

ドリプラタッチャン ドリプラタッチャン QRコード
パートナー募集 契約農家さん募集
エスパルスドリームプラザのモバイルサイト エスパルスドリームプラザ モバイルサイト QRコード

ケータイサイトもお得な情報が満載