日比野日誌

すしとあの人

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聞き覚えのある人、少ないでしょうねぇ。

でもこの人の生き方、結構おもしろくて、何回もテレビドラマで放送してますよ。

そう、天皇の料理番。

大正、昭和の2代の天皇の日常の食事の調理を担当した人です。

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明治21年、福井県村国村(現・越前市)の料理屋の次男として生まれた彼は、

小さな頃に連れられていった陸軍の連隊で、初めてカツレツを食べます。

それが美味だったこと!

たちまち洋食のとりこになり、将来を西洋食の料理人と決めたのでした。

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高等小学校を終えると(中学校卒業)、単身上京し、華族会館のアルバイトを始めますが、

これが彼の、料理人としての本格的な修行の第一歩でした。

その後、フランスへ行くことを決心し、フランス語の勉強も始めました。

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21歳の時、フランスに初上陸。

あちこちで勉強を重ねて、ついには名門、オテル(ホテル)リッツでも働く身となりました。

しかし25歳の時、大正天皇の即位の礼のパーティで、外国人賓客を満足させる料理人はいないかと、帰国を命じられました。

パーティでは本格的なフランス料理で人々を驚かせましたが、それが終わると、再び渡欧し、皇太子(昭和天皇)の欧州訪問にも随行。

またアメリカにも渡って、34歳の時、帰国します。

帰国後は『仏蘭西料理全書』なる重厚な本を出すなど、西洋料理を広げる活躍もしました。

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フレンチの秋山徳蔵。若い頃は確かにそうでしたが、歳をとったこともあったでしょうし、何より昭和天皇のおことばが彼を突き動かしました。

「埋もれゆく郷土料理を記録するように」

それからの彼は、西洋料理一筋だったのが変わり、満州国皇帝の愛新覚羅溥儀が来日した時には、

彼の手で満州料理がふるまわれました。

戦後は、日本料理の食材にも目を広げ、すしも握り始めました。

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きざんだニンジンをご飯がわりに、自宅ですしを握る練習。

また、週に何回かは、すしを買ってきて、分解して構造を探り、またすしに握り直して、最後にやっと子どもたちの口に入ります。

ただ、子どもたちには不評で、「買ってきたままのがいい」。

ま、こうして秋山手作りのすしが、宮中に並ぶこともあったのです。

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参考までにいうと、秋山にすしをリクエストしたのが一番多かったのは今上天皇。

つまり、当時皇太子であった、今の天皇陛下だったのであります。

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