日比野日誌
すしとあの人
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誰でも知ってる、昭和の歌姫。
というか、大女王ですね。
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昭和21年(1946)、9歳で初舞台を踏み、
昭和24年(1949)でレコードを発売するや、人気は大爆発。
映画デビューは歌手デビューより早く、そのため「天才子役」の名をほしいままにしました。
後の活躍は、何の解説もいらないほどでしょう。
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この人の昭和34年(1959)の東映作品に「東京べらんめえ娘」というのがあります。
のちの「べらんめえシリーズ」の先駆けになった、といいますが、
すみません。私は知りませんでした。
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何でも「男まさりの江戸っ子寿司屋「寿司正」の看板娘ひばりちゃんは、
喧嘩にゃ強いが情にゃ弱い。
初めて知った恋の味に笑と涙が入りまじり、唄にのせて展開する恋愛合戦」だそうです。
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この映画の主題歌が「江戸ッ子寿司」なんですね。
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すしといえば、昭和30年(1955)、この人、
踊り・花柳流の名取も持っていて、名前を花柳美之(みゆき)といいます。
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それからとったんだと思いますけどねぇ、
昭和31年(1956)、横浜に「美之寿司」を開店します。
のちにこの店で修行することになるのが、鶴田理一郎氏。
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ひばりからは「ご飯の上に魚を乗せれば寿司だよね?
ならばご飯の上に“命”を乗せなよ。そうすれば一流になれるよ」
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「うちで修業したら将来は大きなお城のようなお店を持ってね」などの言葉を受け、
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本当に城のような「美奈登鮨」を作り上げた人。
「店の名前は、美空さんの一字をもらったんです」。
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今、ネットで「美空ひばり 寿司」を引くと、
横浜・磯子にあるひばりの銅像の前にあるすし屋さんが出てきますが、
この店はひばりさんがあまり売れていない頃に行った店で、
売れた後は、京都・祇園の「蛇の目寿司」と東京・銀座の「すきやばし次郎」だそう。
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エビの踊りと中トロが好物とのこと。
「蛇の目寿司」では車海老と卵をすし折「杉折」にして持ち帰りました。
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30年近く前の値で、金3万円也。
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やっぱり、昭和を代表する歌手はすごいです。