日比野日誌

すしとあの人

バックナンバーはこちら

-

本名、安藤鉄蔵、のちに重右衛門といいます。雅号は広重。

よって「安藤広重」と名乗ったといわれますが、本人はそう名乗ったことはありません。

歌川広重。歌川派の浮世絵師です。

歌川といえば歌川豊国が有名で、初代歌川豊国の門人の歌川国貞や国芳は、前回と前々回のこのコーナーでご紹介いたしましたね。

広重も15歳で豊国門下に弟子入りしようとしたのですが、満員御礼で許されず。同じ歌川でも歌川豊広の門に入りました。

「広重」とは師匠の「広」と自分の名前(重右衛門)の「重」からとった名前でした。

-

広重は国貞や国芳とも交流がありました。

当初は花鳥図を描き、のちに美人画を描くようになりますが、

壮年期以降は「豊国にかほ(似顔)、国芳むしや(武者)、広重めいしよ(名所)」と称されるくらい、

名所絵、すなわち風景画で名を売りました。

-

ある時、幕府の「御馬進献」の使いに加わって京都まで東海道往復を旅する機会を得ました。

これをもとにして生まれたのが『東海道五十三次』。誰もが知る浮世絵界の大ヒット作になりました。

中でも雨の描く技法に優れていて、「雨の広重」などと称されました。

-

前置きが長くなりました。彼もまた、わずかですが、すしの絵を描いています。

有名なのは『東都高名会席尽』。国貞との合版で、江戸の有名な会席どころ、すなわち料理屋を、当時の人気歌舞伎役者とセットで描いています。

会席どころは広重、役者絵は国貞です。

その中の「燕々亭」。私には意味がわかりかねるのですが、「燕々亭」とは、どこかのお店を示しているのでしょうか。

その脇に半分だけのすしの絵があるのです。盛り方は、ちゃんと「積んで」あります。

-

広重といえば「ヒロシゲブルー」。見事な藍色使いで印象的です。

これはヨーロッパから輸入されたベルリン藍、通称「ベロ藍」のなせる業でしたが、逆にヨーロッパの人々に「ジャポネズム」を植えつけることになりました。

「燕々亭」のコハダやサバ。「ヒロシゲブルー」は完全ではありませんが、薄い青色を放っています。

-

月別に記事を読む
Events Calendar
January 2014
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
交通アクセス
駐車場サービス
営業時間※一部店舗により異なります
ショップ10:00 〜 20:00
レストラン11:00 〜 21:00

年中無休各店舗営業時間の詳細はコチラ

ドリームプラザコールセンター

054-354-3360(10:00 〜 21:00)

お得なサービス 平日限定シネマまる得サービス 清水エスパルス後援会会員サービス 朝日テレビカルチャー会員サービス
無料サービス

来るたびにポイントがたまる!!

ドリプラタッチャン ドリプラタッチャン QRコード
パートナー募集 契約農家さん募集
エスパルスドリームプラザのモバイルサイト エスパルスドリームプラザ モバイルサイト QRコード

ケータイサイトもお得な情報が満載